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  1 鉄道で巡る中部ヨーロッパ4都市   2 鉄道で巡るスイス山岳地帯 (1999) 
  3 鉄道で巡るスイス山岳地帯 (2001)  4 初めて訪れるヨーロッパ


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   1 鉄道で巡る中部ヨーロッパ4都市の旅 (07.6.18〜6.27)     

この旅は、海外旅行を2001年で一旦取りやめた私が我慢できずに77歳の記念も兼ねて決行したものです。本心では2001年に最後の海外旅行として訪れながら悪天候で不完全燃焼に終わってしまったスイスに行きたかったのですが、また同じ目に遭うことを考えて目標を変えました。クラシック音楽の熱烈な愛好者であり、また鉄道での旅が何より好きな私には、この3カ国の周遊はスイスの代わりになり得るように感じたのです。

ユーロピアン・イーストパスの有効期間8日をフルに利用できることを第一に、いつにもまして綿密にプランを作成しました。(プランの一部は「自己紹介」のページに載せてあります)細心の注意を払ったプランが功を奏して、この旅はほぼ予定通り無事に済ませることができました。


行 程 の 概 略        赤字は宿泊先    I.A.…国際空港       
  成田〜Amsterdam Schiphol I.A.〜Budapest Ferihegyi I.A.〜Hotel City Inn〜セントイシュトヴァーン大聖堂〜国立オペラ劇場
〜リスト音楽院〜リスト記念館〜英雄広場〜くさり橋〜王宮の丘(歴史博物館、国立美術館、マーチャーシュ教会、漁夫の砦)〜ウィーン門
〜バッチャーニ広場〜ゲッレールトの丘〜中央市場〜国立博物館〜
Hotel City Inn〜ブダペスト東駅〜Wien Westbahnhof(ウイーン西駅)
〜Hotel Prinz Eugen
〜シェーンブルン宮殿〜Hotel Prinz EugenWien Westbahnhof〜Salzburg Hbf〜皇妃エリザベート像
〜モーツァルトの生家〜州立劇場〜モーツァルテウム〜ミラベル庭園〜
Carlton Hotel Salzburg〜レジデンツ広場〜聖ペーター教会
〜ホーエンザルツブルク城〜ドーム広場〜祝祭劇場〜カラヤン広場〜ゲトライデガッセ〜
Salzburg Hbf〜Wien Westbahnhof
〜ヴォティーフ教会〜ウィーン大学〜市庁舎〜ブルク劇場〜国会議事堂〜市立公園(シュトラウス像)〜コンツェルトハウス〜カールス教会
Hotel Prinz Eugen〜楽友協会〜王宮庭園(モーツァルト像)〜ホーフブルク(王宮、ブルク門)〜マリア・テレジア広場(自然史博物館、美  術史博物館)〜ムゼウムス・クヴァルティーア〜フォルクス劇場〜シュテファン大聖堂〜フィガロハウス〜(ケルントナー通り、グラーベン通り)
〜ペーター教会〜カプツィーナ教会 〜ウィーン国立歌劇場〜カールス教会〜
Hotel Prinz Eugen〜ウィーン南駅〜ブルジュツラフ〜ブルノ
〜プラハ・ホレショヴィツェ駅〜共和国広場(市民会館)〜国立博物館〜ヴァーツラフ広場〜エステート劇場〜火薬塔〜
Hotel Atlantic
〜ヴァルドシュテイン宮殿〜マラー・ストラナ広場〜(ネルドヴァ通り)〜ロレッタ〜ストラホフ修道院〜大司教宮殿〜プラハ城(聖ヴィート大聖堂、
  聖イジー教会、黄金の小路、ダリポルカ塔) 〜カレル橋〜スメタナ博物館〜国民劇場〜芸術家の家〜シナゴーグ〜旧市街広場
Hotel AtlanticPraha Ruzyne I.A.(機中泊)〜成田 


   


      @ ブダペスト                 

直行便がないため、ブダペストの町は僅か一日で回ることになってしまいかなりの強行軍でした。ドナウ河を挟む二つの地区は頑丈なくさり橋で結ばれていますが、ブダ側の王宮の丘には幾つもの歴史的建造物が建ち並んでいます。私が最も期待していたマーチャーシュ教会はあいにく工事中でしたが、もう一つ有名な漁夫の砦からの眺望は十分に楽しめました。ペスト地区のドナウ河畔に建つ国会議事堂の華麗さも一見に値します。温泉大国ハンガリーの象徴でもあるゲッレールトの丘も訪れましたが温泉を楽しむ時間的余裕はなく、他の目的地へと急ぐ一日になりました。

移動には地下鉄とトラム、それにバスを利用しました。常時携行の健脚はもちろんです。私がインターネットの威力をしみじみと感じたのはこの旅のプラン作成のときで、この町を効率的に回る必要からバス路線を検索したのですが、何とある路線の一停留所の発車時刻まで把握できたのです。この頃の日本ではインターネットはまだ発達過程にあってそこまでの情報は得られなかったので、本当に驚きました。列車の運行についても、トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表でも解決しない部分はドイツ国鉄などのサイトで調べることができたのです。

ウイーンへの列車が発着するブダペスト東駅、この駅でシリアからヨーロッパへの多数の避難民が国際列車に乗ろうと殺到したのは僅か5年前の2015年です。TVでも散々放映されたので記憶に新しいのではないでしょうか。

何よりも困ったのは飲み物です。ブダペストでは水道の水が硬水で飲めずミネラルウォーターを買うことになるのですが、これがほとんどガス入りで、代わりにスプライトやフルーツジュースに頼るしかありませんでした。












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    1 アムステルダム空港のマレヴ・ハンガリー航空機           2 外見から“ジプシー王の宮殿”の異名を持つ工芸美術館
   3 聖イシュトヴァーン大聖堂の高さ96mのドーム             4 聖イシュトヴァーン大聖堂の展望台から望むゲッレールトの丘
   5 街路樹が美しいアンドラーシ大通り                   6 アンドラーシ大通りに精彩を放つハンガリー国立歌劇場
   7 ピアノの名手リストの後輩を育てるリスト音楽院           8 建国1000年記念に造られた英雄広場
   9 石のアーチと鉄で建造された頑丈なくさり橋             10 くさり橋の歩道から見るドナウの流れと対岸の王宮
  11 くさり橋から見るブダの王宮                        12 くさり橋から、王宮の丘へのケーブルと道路トンネル
 



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   13 王宮南の城門から見るライオンの中庭                   14 王宮南端のブダペスト歴史博物館
   15 ハンガリー国立美術館                           16 王宮の丘に最も似つかわしい観光馬車
   17 漁夫の砦と初代国王聖イシュトヴァーンの騎馬像            18 白亜のとんがり屋根が特徴の“漁夫の砦”

   19 トルコからの解放を記念して造られたウイーン門   
    20 ドナウ河を挟んで対岸から見る華麗なハンガリー国会議事堂
   21 ゲッレールトの丘から見下ろすペストの町並み              22 モザイク模様に飾られたブダペスト中央市場
   23 ブダペスト市民の台所、賑わうブダペスト中央市場       24 荘厳なコリント様式の柱が目につくハンガリー国立博物館
 



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     25 シリアからの避難民で混乱を極めた時期もあった、ウイーンへの列車が発車するブダペスト東駅の構内
    26 この中部ヨーロッパ旅行の航空旅程リスト              27 この旅で利用したオランダKLM航空機の搭乗リスト
    28 8日間通用のユーロピアン・イースト・パス               29 ブダペストでの空港〜市内間ミニバスの乗車券
    30 交通機関(地下鉄、路面電車、バス)フリーで、施設入場の際に特典も付くブダペストカード


     
 A ウイーン(シェーンブルン宮殿)〜ザルツブルク

ブダペストからウイーンまでの3時間の旅は、スイスやイタリアでの鉄道旅行に慣れている私にとってもひとしお感慨深いものでした。旧東欧地域で乗る初めての路線であったことも理由かも知れません。

ウイーン西駅到着後ホテルに向かい、荷物を預けてリュック一つでシェーンブルン宮殿に向かいました。ここはウイーン市内でも中心街とは離れているため、あとあとのことを考えてザルツブルク行きの前に訪れたのです。シェーンブルン宮殿も工事中でしたが庭園側は無傷で、見事な花壇と多くの白い石像、宮殿とグロリエッテの向き合う素晴らしい眺めに感動させられました。「マリア・テレジアの黄色」と呼ばれる宮殿の外壁は、いかにもハプスブルク家の遺産らしい上品な雰囲気を具えています。

ウイーンからスイスやドイツに通じる幹線に揺られてのザルツブルク行きは、コンパートメントまで運ばれたランチを味わいながら窓外の風景を眺める快適な旅でした。ザルツブルクでは久しぶりの雨で、ブダペスト以来ずっと続いていた高温から解放されて暑さに極端に弱い私には正に干天の慈雨になりました。

ザルツブルクは84年にもグループツアーで一度訪れていますが、今回は一人旅なのでほぼ全域を気ままに歩くことができました。こじんまりとまとまった町でもあり、モーツァルトゆかりの場所や独創的な鉄製看板が並ぶゲトライデガッセ、天然の要害であったホーエン・ザルツブルク城など、ゆっくりと時間をかけて回りました。ゲトライデガッセのカフェレストランでは、野菜不足を補うため料理のほかにたっぷりとサラダを口にしたのはもちろんです。
 


   



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   31 ウイーン西駅に到着したオーストリア国鉄のEC24                32 早朝から混雑するシェーンブルン宮殿正門前
   33 庭園側から見る高貴な色彩を放つシェーンブルン宮殿           34 手入れの行き届いたシェーンブルン宮殿の庭園
   35 庭園の先に設けられたネプチューン(海神)の泉     
   36 丘の上に設けられた戦没者慰霊パビリオン、グロリエッテ          37 グロリエッテ前から見下ろすシェーンブルン宮殿 
    38 ザルツブルク行きIC544モーツアルト号の発車表示             39 ザルツブルク中央駅
    40 中央駅近くの公園に立つ皇妃エリザベートの像                41 ミラベル庭園から望むホーエン・ザルツブルク城
    42 モーツァルトが14年間住んでいた“モーツァルトの家”
 



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    43 “モーツァルトの家”に展示されている愛用の楽器        44 1984年にコンサートを楽しんだ懐かしいモーツァルテウム
    45 オペラやオペレッタを演じるマリオネット劇場            46 マカルト小橋から見る旧市街とホーエン・ザルツブルク城
    47 カラヤン広場、大司教の馬専用の水飲み場          48 祝祭劇場とホーエン・ザルツブルク城
    49 旧市街最大のレジデンツ広場とドーム                50 レジデンツ広場、ネプチューンの泉
    51 モーツァルト広場に立つモーツァルトの像              52 ホーエン・ザルツブルク城の望楼
    53 望楼から見渡すザルツァッハ川とザルツブルク市街       54 望楼の裏側から見えるヨーロッパアルプス東端の山並み
 



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    55 ホーエン・ザルツブルク城の砲台跡                  56 意匠を凝らした鉄製の看板が並ぶゲトライデ・ガッセ
    57 ザルツブルクの至宝、モーツァルトの生家               58 シェーンブルン宮殿とグロリエッテの入場券
    59 ザルツブルク行きICモーツアルト号の運転スケジュール     
    60 交通機関フリーで施設入場の際に特典も付くザルツブルクカード
 


      
B ウイーン中心部

ウイーンはハプスブルク帝国の首都でしたが同時にクラシック音楽の聖地でもあり、私が最も憧れている町の一つです。シュトラッセンバーン(路面電車)が一周するリンク通りの周辺にはハプスブルクの偉容を誇る建築物が軒を並べ、至る所に偉大な音楽家や哲学者などの像が建てられています。中でも、市立公園にある「ヴァイオリンを奏でるワルツ王、ヨハン・シュトラウス」の金色の像は多くの人々のお目当てで、私が訪れたときも(20年前の日本人がそうであったように)中国人のグループがこの像に張り付き、写真68の撮影にはかなりの辛抱が必要でした。

開放的な国会議事堂やウイーン大学、世界でも指折りの国立歌劇場、800年以上の歴史を持つシュテファン大聖堂など、数知れない由緒ある建物がハプスブルクの勢威の大きさを物語ってくれます。ブダペストと同様、私が是非見たいと思っていたヴォティーフ教会やウイーン市庁舎が揃って工事中という残念なこともありましたが、バロック建築の傑作と目されているカールス教会や、年末に本場のウインナーワルツを全世界の人々にリアルタイムで聴かせてくれる場であるウイーン楽友協会ホールなど、印象深い場所には事欠きませんでした。
 


 



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   61 ザルツブルク中央駅のウイーン行きIC547       62 白い尖塔が美しいネオゴシック様式のヴォティーフ教会(工事中)
   63 ノーベル賞受賞者を輩出する名門ウイーン大学       64 107mの尖塔が目立つウイーン市庁舎(工事中)
   65 ヨーロッパ屈指のブルク劇場                  66 リンク通りで、中世と現代の花形交通機関の競演
   67 リンク通りに面した開放的なオーストリア国会議事堂     68 ヴァイオリンを弾くワルツ王、黄金のヨハン・シュトラウス像
   69 ベートーヴェン広場、楽聖ベートーヴェンの像        70 ウイーン交響楽団の本拠、コンツェルトハウス
   71 バロック建築の傑作、カールス教会             72 ウイーン市民の日常を支える路面電車、シュトラッセンバーン
 



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    73 王宮庭園前に立つ哲学者ゲーテの像               74 王宮庭園のモーツァルト像(赤く見えるのはト音記号)
    75 ハプスブルク家の権威の象徴、新王宮                   76 王宮側から見るブルク門
    77 王宮の中庭、旧王宮とフランツ・ヨーゼフ二世像         78 マリア・テレジア広場、自然史博物館
    79 マリア・テレジア広場、美術史博物館                  80 マリー・アントワネットの母、マリア・テレジアの像
    81 800年以上の歴史を誇るシュテファン大聖堂前の群衆       82 シュテファン大聖堂のミサ  
    83 ケルントナー通りから望むシュテファン大聖堂              84 グラーベン通りに立つペスト記念柱
 



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     85 広々とした繁華街グラーベン通り                        86 もう一つの繁華街ケルントナー通りの賑わい
    87 皇帝、皇妃などハプスブルク家ゆかりの人々が眠るカプツィーナ教会  
    88 世界でも指折りの歌劇の殿堂、ウイーン国立歌劇場  
    89 英雄オイゲン公の夏の離宮だったベルヴェデーレ宮殿(上宮)        90 ベルヴェデーレ宮殿(上宮)の全景
     91 ベルヴェデーレ宮殿の庭園に立つ守護神ペガサス            92 ハンガリー、オーストリア共通のテレフォンカード
    93 交通機関フリーのウイーン24時間フリーパス
    94 交通機関(トラム、バス、地下鉄)フリーで、施設入場の際に特典が付くウイーンカード 
    95 モーツァルトハウス・ウイーンの入場券                     96 ブルク劇場見学ツアーのチケット


     
C プラハ

ウイーンからプラハまでの4時間余りは、途中列車内で出国審査と入国審査があり、東欧の気配が色濃く残っているプラハ・ホレショヴィツェ駅に退屈するひまもなく到着しました。ここで一番目立ったのはエスカレーターで、評判通り長いだけでなく動きがとても速かったのですが、現地の人々は老若を問わず当たり前のように利用していたのです。私は平気でしたが、日本の高齢者なら転んで怪我をするに違いないと思いました。

ここでも移動には主に地下鉄とトラムを利用しましたが、歩きの方が便利な場所も少なからずあり徒歩での移動も多くなりました。食事はやはりカフェテリアですが、一度だけチェコレストランで贅沢ランチを味わいました。

プラハでは何と言ってもプラハ城が必見ということになりますが、その中庭に建つステンドグラスが美しい聖ヴィート大聖堂への入場では、長蛇の列を覚悟する必要があります。私の場合は城内のほかの場所を先に見てから大聖堂に行ったため、混雑には遭わずに済みました。

旧ソ連に武力で支配されていたチェコ・スロバキアの解放を実現した1968年の「プラハの春」が歴史上最大の事件だと思います。その際に100万人の群衆が集まり自由を求める無血革命を達成した場所が、現在はプラハ第一の繁華街となっているヴァーツラフ広場(ヴァーツラフ大通り)です。また、ヴルタヴァ河(モルダウ河)に架かるカレル橋は幅の広い立派な石橋(車の進入は禁止)で、あちこちに絵画などの売店が並びのんびりと散策できます。スメタナが作曲した「わが祖国」の中の一節が日本でも有名な「モルダウ」です。


プラハを去るとき空港へのミニバスには本当に悩まされました。と言うのは、途中までは中世の石畳なのです。ガタガタ揺れるのも構わず飛ばして、やっとアスファルト道路に入った時は本当にホッとしました。


 












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    1 ウイーン西駅、プラハ行きEC172ビンドボナ号                 2 プラハ、ホレショヴィツェ駅
    3 共和国広場                             4 国立博物館前に立つボヘミア最初の王ヴァーツラフの像
    5 ヴァーツラフ広場(大通り)から望む国立博物館    
     6 豪華絢爛な装飾が施された、プラハ音楽祭も催される市民会館
    7 モーツァルトの歌劇ドン・ジョバンニの初演の場、エステート劇場      8 ツェレトゥナー通りの末端から仰ぎ見る火薬塔
    9 中世の香り濃いヴァルドシュテイン通り                    10 マラー・ストラナ広場
    11 坂の頂上から見下ろすネルドヴァ通り                       12 17世紀の聖母マリア教会ロレッタ
 



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    13 12世紀に建てられたストラホフ修道院         14 フラチャニ広場から、プラハ城正門と聖ヴィート大聖堂の尖塔
    15 プラハ城の正門とその奥のマティアス門             16 第三の中庭から見る聖ヴィート大聖堂
    17 お伽の世界を思わせる黄金の小道                18 中世の牢獄ダリポルカ塔に保存されている責め道具
    19 聖ヴィート大聖堂の華麗な堂内の装飾       20 大聖堂、ムハの手になる「聖キリルと聖メトディウス」のステンドグラス
    21 定時の交代式に向かうプラハ城の衛兵                22 衛兵の交代式でファンファーレを演奏する音楽隊 
    23 映画「アマデウス」にも登場した大司教宮殿と群衆         24 プラハ城と聖ヴィート大聖堂の共通入場券
 



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    25 カレル橋へと通じるネルドヴァ通り                   26 カレル橋への入り口、マラー・ストラナ橋塔
    27 晴天の下、カレル橋を行き交う人々                 28 カレル橋から見るマネシューブ橋
    29 カレル橋から見る巨大複合施設クレメンティヌム           30 カレル橋上から振り返るプラハ城と大聖堂の尖塔
    31 旧市街橋塔とフランティスク教会                   32 巧みな演奏を聴かせてくれた橋上の大道芸人
    33 スメタナ博物館、スメタナ愛用のピアノ                 34 ブルタヴァ河(モルダウ河)の河畔から望むプラハ城
    35 ブルタヴァ河の河畔から望むカレル橋                 36 地味な外観だが、プラハ市民の誇り国民劇場
 



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    37 多くの歴史的事件の舞台だった旧市街広場           38 ティーン聖母教会と石の鐘の家、修理中のヤン・フスの像
    39 プラハ・ルズィニェ空港                        40 アムステルダム・スキポール空港のターミナル
    41 スキポール空港の帰国便、KLM機               42 スメタナ博物館の入場券
 


こうして人生最後の海外旅行が無事に終わりました。あの戦争のおかげで自己紹介にあるような生活を余儀なくされたことを思えば、このような旅を実際に重ねられたのは夢のようなことです。これも、真面目に自力本願を通して努力してきたことへのご褒美ではないかと思います。

見知らぬ土地を一人で歩いているときに最も生きていることを実感するという変わり者の私ですが、現地の人々や他の国からの観光客との交流も結構ありました。現地で出会った日本人のツアーは一組だけでしたし、個人旅行者も新婚旅行の一組だけで、韓国人や中国系の小グループの多さが不思議に思われるほどでした。

どんな交通機関よりも鉄道旅行が大好きな私にとっては、今回の僅か1300kmほどの国鉄線に乗ったことだけでもたいへん意味があるのです。車窓からの眺めはスイスのそれとは比べものになりませんが、日本では既に見られなくなった電気機関車牽引の客車列車だけに、ゆったりとした気分に浸ることができました。また、共通乗車券を使って利用できる便利な地下鉄やトラム、バスでの移動は、お仕着せの観光バスでの移動より遙かに自由で楽しいものです。

それにしても、一口に海外旅行と言っても、南北の移動は時差が少なく楽ですが東西の移動は本当に大変です。ヨーロッパの場合は移動時間が12時間程度かかり、時差も9時間程度はあるので、成田で機内に入った時点で時計を到着地の時刻に合わせ、それに沿って生活するのが最良なのですが、そのことを知らない人々も多くて悩まされます。この旅でも、帰国便にスイス帰りの日本人ツアー客が乗っていて、思い出話に花を咲かせていました。おかげで私もほとんど眠れず、帰ってから2、3日は体調が定まりませんでした。「到着地の時間に合わせて行動するのが最善の時差ぼけ対策」ということぐらいは、常識として知っておいて欲しいものです。
 


                                                                                     ページトップへ 

    
2 鉄道で巡るスイス山岳地帯の旅 (99.6.29〜7.7)     
                                                            

前後3回にわたってスイスを歩いた中で際だって幸運だったのがこの旅です。 ヨーロッパの気象は一旦崩れるとそれが長く続くことがありますが、このときは後半も含めて9日間の滞在を通してほとんど晴天に恵まれました。そのため、最大の目的だったアルプスの山々の写真も豊富に撮ることができ、今振り返ってみても奇跡に近かったとしか言いようがありません。

ただ一つ私にとって辛かったのは、この年のスイスが異常高温に見舞われていたことです。ネットでの事前調査では平年並みだったのですが、そのつもりで用意した衣類では暑すぎて閉口しました。やむを得ず現地調達したもののちょっとやりきれない思いでした。


 行 程 の 概 略        赤字は宿泊先
  成田〜Zurich Flaghafen〜Zurich Hbf〜Luzern(Hotel Krone)フィッツナウ〜リギ山頂〜リギ・シュタッフェル〜アルト・ゴルダウ
Luzern(Hotel Krone)リンデ〜クリエンス〜フラクミュンテッグ〜ピラトゥス山頂〜アルプナッハシュタット〜ザルネン〜インターラーケン
Wilderswil(Hotel Baeren)インターラーケン〜ブリエンツ〜ロートホルン山頂〜ブリエンツ〜インターラーケン〜ラウターブルンネン〜ミューレン
〜ラウターブルンネン
Wilderswil(Hotel Baeren)シーニゲ・プラッテ〜Wilderswil〜インターラーケン〜シュピーツ〜カンデルシュテーグ
〜ブリーク
Zermatt(Holiday Inn)シュールマッテン〜フーリ〜トロッケナーシュテグ〜クライン・マッターホルン〜トロッケナーシュテーグ〜フーリ
〜シュヴァルツゼー
フーリ〜シュールマッテン〜アルペンメトロ〜スネガ〜ブラウヘルト〜シュテリゼー〜フラウアルプ〜ブラウヘルト〜スネガ
〜アルペンメトロ〜ツェルマット〜ゴルナーグラート
Zermatt(Holiday Inn)〜(Glacier Express…氷河急行)〜ブリーク〜(Glacier Express)〜(アンデルマット、ディセンティス)〜Chur(Romantik Hotel Stern)サメダン〜ポントレジナ〜アルプ・グリュム〜ポントレジナ〜サメダン〜クール
〜アルトシュタッテン〜ガイス
Appenzell(Hotel Appenzell)ザンクトガレン〜シャフハウゼン〜ラインの滝〜シャフハウゼン〜Zurich Hbf
〜Zurich Flaghafen
(機中泊)〜成田 

   


        
@ ルツェルン、ベルナー・オーバーラント

チューリッヒには夕方到着しましたが、翌日からの予定の関係でルツェルンまで足を延ばして泊まりました。主目的が山なのでこの町はあくまでも行動の拠点です。中世風の石畳の道は雰囲気はいいですが、ホテルまでのスーツケース運びには結構苦労させられました。

翌日はルツェルンから湖船と登山鉄道でリギ山に登りましたが、あいにくの濃霧で視界を阻まれました。でも、牧場を縫っての3時間の下山は楽しいハイキングになりました。そして翌々日はバスとロープウェイでピラトゥス山に登り、世界一の急勾配を持つ登山鉄道で下山、その後はインターラーケンから入ったヴィルダースヴィルまで足を延ばして2泊、 ここを拠点に先ずロートホルンに登りました。ブリエンツで電車を降りると写真15に示すミニSLが待ち構えています。2197mの山頂近くまでをぐいぐいと登る力持ちで、ブリエンツ湖越しにアルプスの山々を存分に楽しませてくれます。

ヴィルダースヴィルからは、写真24の古典客車でシーニゲ・プラッテの展望台にも登ることができます。時速4〜5kmで50分かかります。それほど期待していなかったにもかかわらず、結果はご覧の通りで目を疑うような素晴らしさでした。写真25,26のようにユングフラウとアイガーをほぼ正面から眺めることができ、これ以上ない満足感に浸ることができました。
 











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     1 チューリッヒ着陸直前の機上から見下ろすライン川               2 スイス国鉄チューリッヒ空港駅の出札所
     3 フィーアヴァルト・シュテッテ湖の湖畔に建つウィリアム・テル記念堂
     4 湖船から見るリギ山(1798m)                                5 リギ山頂付近に立ちこめる濃霧
     6 リギ・シュタッフェル駅付近の牧草地                       7 リギ山の山腹でのどかに草を食む動物たち
     8 ルツェルン駅のスイス国鉄発車時刻表                     9 ルツェルン駅ホーム、ミラノ行きICの前で
     10 ルツェルン郊外の住宅地リンデで開かれていた朝市           11 標高2119mのピラトゥス山頂に至る石段 
     12 リギ山の岩壁に張り付いた恐怖のオーバーハウプト歩道 
 



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    13 山頂駅に向かう世界一の急勾配をもつピラトゥス登山鉄道      14 断崖と絶壁に挟まれたピラトゥス登山鉄道の路線
    15 ブリエンツ駅で、ロートホルン鉄道の強力なミニSL             16 ロートホルンの山腹をものともせずに登るミニSL
    17 ロートホルンの山腹から望むユングフラウ山群              18 荒々しいロートホルン(2298m)の山頂付近
    19 ロートホルン山頂駅に憩うBRBのミニSL                 20 ロートホルン山頂から望む遙かなピラトゥス
    21 ロートホルン山頂から望むユングフラウ三山    22 山頂から見下ろすブリエンツ湖とベルナー・オーバーラントの山々
    23 ミューレン、快晴のアイガー(3970m)とメンヒ(4099m)    24 ヴィルダースヴィルで、シーニゲ・プラッテ鉄道の古典客車
 



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    25 シーニゲ・プラッテから見るアイガーとメンヒ       26 シーニゲ・プラッテから、優美な姿を見せるユングフラウ(4158m)
    27 シーニゲ・プラッテから遙かなブライトホルン(3782m)方面     28 高山植物園に咲くエリナス・アルピナス
    29 鉄道交通の要衝、トゥーン湖畔の町シュピーツ             30 ンデルシュテーク駅に到着
    31 スイス国内の交通機関(国鉄とほとんどの私鉄、ポストバス、湖船)
                    が乗り放題のほか様々な割引がある8日間通用のスイスパス
     32 チューリッヒ空港〜ルツェルン間の乗車券               33 フィッツナウ〜リギ・クルム間の登山鉄道のチケット
     34 クリエンス〜ピラトゥス〜アルプナハシュタット間のロープウェイと登山鉄道の回遊チケット
     35 ブリエンツ〜ロートホルン間のミニSL登山鉄道のチケット    
     36 ヴィルダースヴィル〜シーニゲ・プラッテ間の登山鉄道往復乗車券
 


       
A ツェルマット、クール、アッペンツェル、ラインの滝

ヴァリス地方の中心地であるツェルマットはスイスを訪れる人なら誰でも立ち寄る場所ですが、車の進入が禁止されていることだけでも私には最高のプレゼントです。ツアー客が殺到するであろうゴルナーグラートを避け、早朝6時にホテルを出て、私を除けば乗客全員が外国人のロープウェイを乗り継いで標高3820mのクライン・マッターホルンに8時頃到着しました。高山病を避けるためしばらく滞在してからたった一人の乗客としてロープウェイで下山、その途中シュヴァルツゼーのカフェテリアで一休みしたあと、次の目的地に向かって出発ということになりました。

これも恐らくツアー客にはメインコースではないスネガ〜フラウアルプのハイキングコース、2500mの爽快な散策は心身のリフレッシュには最適なものでした。その後、一応ゴルナーグラートにも行ってからは、氷河急行で5000年の歴史をもつスイス最古の町クールを目指しました。この町のあるグラウビュンデン地方は伝統的な文化を持ち、言語もロマンシュ語が主流です。クールの名から受ける印象とは違いスイス屈指の高温地帯で、実に辛かったです。また、夕食に提供されたこの地方の伝統料理は、燻製肉の歯ごたえがありすぎて大変でした。

クールに泊まった翌日は、氷河急行と並んでスイスの観光用看板列車であるベルニナ急行でイタリア国境近くのアルプ・グリュムまで往復しました。この列車はイタリア北部の町ティラノまで走るのですが、この後の移動が長距離なためやむを得ず途中駅で引き返したのです。この夜はアッペンツェルに泊まり、翌日はライン河畔のシャフハウゼンに寄ってラインの滝を眺めてからチューリッヒ経由帰途につきました。
 



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    37 ブリーク駅のBVZ鉄道           38 ホテルの窓から見るツェルマットの村          39 ツェルマットのシャレー群
    40 夕暮れ間近、金色に輝くマッターホルン(4478m)      41 ツェルマットの村を貫くマッター川の白濁した流れ
    42 クライン・マッターホルンへの出発点、シュールマッテン
    43 クライン・マッターホルン(3820m)へと向かう早朝のゴンドラの同乗者たち
    44 クライン・マッターホルン駅の高度表示               45 トンネルの先でイタリア側の視界を阻む濃霧
    46 下りのゴンドラからヴァイスホルン(4506m)方面        47 シュヴァルツゼー湖畔からオーバーガーベルホルン(4063m)
    48 シュヴァルツゼー付近から見下ろすウンタラー・テオドゥル氷河
 



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    49 スネガ展望台(2300m)で、ヴァリスの山々を背にして       50 ブラウヘルトからフラウアルプへのハイキングコースで
    51 フラウアルプに至る2500mの爽快なハイキングコース       52 標高2537mの高所にある山上湖シュテリゼー
    53 フラウアルプのイタリアンレストランと、純白のシュトラールホルン(4190m)
    54 ゴルナーグラートへの登山電車GGB                55 ゴルナーグラート駅(3090m)のホーム
    56 山岳博物館、ウィンパーのザイルとピッケル             57 氷河急行の展望車から見る窓外の風景
    58 オーバーアルプ付近の氷が浮いた氷河湖             59 氷河急行から見下ろすアルプスの十字路アンデルマット
    60 5000年の歴史を持つスイス最古の町クール、独特の言語ロマンシュ語も時折耳にする
 



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    61 クール、聖マルティン教会                    62 樹間を縫ってイタリア北部ティラノへとひた走るベルニナ急行
    63 ランドヴァッサー橋を渡るベルニナ線の列車         64 ベルニナ線沿線の湖ラーゴ・ビアンコ、本来は白い湖
    65 アルプ・グリュム付近の景観(絵葉書)            66 スイス東北部の村の風景
    67 古いスイスの素朴さが残る町、アッペンツェル         68 巨大なカウベルが並ぶアッペンツェルの土産物店
    69 ヨーロッパ最大規模、怒濤逆巻くラインの滝
     70 僅か25mの落差だが中世ヨーロッパの歴史に影響を及ぼしたラインの滝
    71 シュールマッテンからクライン・マッターホルンへのゴンドラのチケット  
    72 ツェルマット〜ゴルナーグラート間の往復チケット
 


スイスでは、本格的な登山でない限りかなりの高所まで登山鉄道やロープウェイで行くことができます。日本のようにどこにでも当然のごとく観光道路を通してマイカーを招き入れるのは、いかにも便利であるかのようで実は違うのです。鉄道やロープウェイならば高齢者や子どもも自由かつ安全に利用できますが、車ではそうはいきません。必ずドライバーが必要だし駐車スペースの確保も問題になります。それ以上に、何よりも環境への悪影響が遙かに大きくなり、人々が安全快適に自然を楽しむのを非常に妨げます。

更に、公共交通というものについての認識も日本とは大きく違います。日本では路線の赤字は即減便、廃止につながりますが、スイスでは全く違うのです。観光路線だけでなくかなり田舎に行っても、列車やバスの本数はある程度確保されています。どのようなシステムになっているか分かりませんが、「公共交通は赤字でも人々の生活のために維持するべきだ」という立場のように感じます。スイスだけでなくヨーロッパの各都市では路面電車が交通の主役となっている所が多く、公共交通機関をとても大切にしています。東京に見られる「車の通行に邪魔だから路面電車を廃止する」ような「全体の調和を考えずに目先の経済性だけを追求するアメリカ的発想」とは根本的に異なるのです。
 


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    3 鉄道で巡るスイス山岳地帯の旅 (01.9.17〜9.26) 
                                                       

この旅は、あの世界を震撼させた9.11テロ直後の旅です。テロリストもスイスの銀行にはかなりお世話になっているに違いないと考え、私が利用するスイス航空が狙われることはなかろうという都合のいい判断のもとに出掛けました。

今回は最後の海外旅行のつもりで今まで以上に綿密にプランを作り、よく整備されているスイスの山のハイキングコースを数多く歩き回るつもりでいました。ところが、前回とは違いヨーロッパの天候が崩れ始める時期にぶつかって、私としては非常に残念な状況になってしまったのです。このことがずっと忘れられず、6年後の2007年にはスイスに思いをはせながらも行く先を中部ヨーロッパに移すことになってしまいました。

それでも、この旅のプランにはツアーなら絶対に訪れることのない場所をいくつか組み込んであったので、それなりの満足感は得られました。
 


 行 程 の 概 略        赤字は宿泊先
  成田〜Zurich Flughafen〜Zurich Hbf〜アルトゴルダウ〜ゲッシェネン〜Andermatt(Hotel Drei Konige & Post Andermatt)フィーシュ
〜エッギスホルン〜フィーシュ〜ブリーク〜
Saas-Fee(Hotel Waldesruh Saas-Fee)サース・グルント〜クロイツボーデン〜ホーサース
〜クロイツボーデン〜サース・グルント〜サース・フェー〜フェルスキン〜ミッテルアラリン〜
Saas-Fee(Hotel Waldesruh Saas-Fee)ブリーク
〜マルティニ
〜(Mont Blanc Exp.…モンブラン特急) 〜ル・シャトラール〜エモッソン湖〜ル・シャトラール〜マルティニ
Montreau(Hotel Parc et Lac Montreau)シオン城〜(花の遊歩道)〜モントルー〜ヴェヴェイ(チャップリン像)〜モントルー
(Golden Pass Panoramic…パノラマ急行) 〜ツヴァイジンメン〜(Golden Pass Panoramic)〜シュピーツ〜(Golden Pass Panoramic)
インターラーケン〜Grindelwald(Hotel Alpina Grindelwald)グローセ・シャイデッグ〜(hiking)〜フィルスト〜(hiking)〜バッハアルプゼー
〜フィルスト〜グリンデルワルト
(Hotel Alpina Grindelwald)クライネ・シャイデッグウェンゲン〜メンリッヒェン〜グリンデルワルト・グルント
〜ラウターブルンネン〜トリュンメルバッハの滝
ラウターブルンネン〜ミューレンシルトホルン〜ミューレン〜ラウターブルンネン
〜グリンデルワルト(Hotel Alpina Grindelwald)〜インターラーケン〜マイリンゲン(シャーロック・ホームズ博物館、アーレシュルフト)〜ルツェルン
Engelberg(Hotel Edelweiss Engelberg) ルツェルン〜Zurich Hbf〜Zurich Flughafen(機中泊)〜成田 


 


       
 @ アンデルマット、エッギスホルン、エモッソン湖

チューリッヒ空港到着は19時頃でしたが、翌日の行動をスムーズにするため電車を3回乗り換えおよそ3時間かけて「アルプスの十字路」と呼ばれるアンデルマットまで足を延ばしました。現地に到着したときには何とチラホラ雪が降っていたのです。翌日はフィーシュからエッギスホルンに登り、ヨーロッパ第一の長さを誇るアレッチ氷河の展望を楽しみました。プランではここから山腹を歩いて隣駅までのハイキングを予定していたのですが、残念ながら雪が深くて断念せざるを得ませんでした。

ブリークからはポストバスで、ツェルマットとは山越しのまだ鄙びた感じが多少は残っているサース・フェーに向かいました。ここはかつては秘境と呼ばれていた所です。この村を囲むミシャベル山群は、マッターホルンのように有名ではないもののどれも4200m前後の高さを持ち、主峰のドムなどは4500mを超えています。翌日は早朝のバスで隣のサース・グルントまで行き、始発のゴンドラでホーサースまで登ったのですが、乗客は私だけであとは頂上レストランの従業員と保安要員だけでした。

このあとフランス国境に近いル・シャトラールからエモッソン湖を目指したのですが、これは正に冒険そのものでした。トロッコ列車とミニケーブルカーも普通ならかなりスリルを感じるものですが、最初に利用するケーブルカーに比べればその比ではありません。急勾配の上に窓ガラスがなく、寒風が容赦なく吹き抜ける急勾配の路線で、ツアーでは味わえない一種の充実感を与えてくれました。この湖を選んだのは、モンブランを見るためだけにフランスに入るのは日程上無理だったからです。
 


     











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     1 成田空港のスイス航空機                      2 宿泊翌日、早朝のアンデルマット(アルプスの十字路)
     3 アンデルマットの町の背後に聳える雪山              4 フィーシュへの車窓から見る朝の沿線風景
     5 エッギスホルン(2869m)山頂直下の避難小屋          6 エッギスホルンから見る堂々たるアレッチホルン(4195m)
     7 エッギスホルンから見るヨーロッパ最長のアレッチ氷河(22km)と、
               裏側から見るユングフラウ三山(ユングフラウ、メンヒ、アイガー)
     8 エッギスホルンから遙かに見えるgツェルマットのシンボル、マッターホルン(4478m)
      9 スイスの地方をくまなく走っている便利な乗り物、ポストバス   10 ようやく晴れ間が見えたかつての秘境サース・フェー
     11 朝日を浴びてそそり立つミシャベル山群の最高峰ドム(4545m)         12 早朝の登山基地サース・グルントの町
 



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    13 ゴンドラから見る明けゆくホーサース(3100m)          14 ミッテルアラリン(3500m)に登る地下ケーブル
    15 雪面の輝きがまぶしいミッテルアラリンのスキー場         16 マルティニ駅で発車を待つシャモニー行きモンブラン特急
    17 ル・シャトラール、急勾配で窓のない恐怖のケーブルカー
    18 モンブラン山群も見える、絶壁に沿うエモッソン湖へのトロッコ軌道
    19 最後に待ち構える、奈落の底から這い上がるミニケーブルカー
    20 曇天の下、静かな水面を見せる秘境の湖エモッソン湖    21 フィーシュ〜エッギスホルン間のロープウェイのチケット
     22 サース・グルント〜ホーサース間のゴンドラのチケット      23 サース・フェー〜ミッテルアラリン間のケーブルのチケット
     24 ル・シャトラール〜エモッソン湖間のケーブルカー、トロッコ軌道、ミニケーブルカーの通しチケット
 


       A レマン湖畔、グリンデルワルト 他

モントルーに泊まったのはパノラマ特急に乗ることが目的です。早朝にレマン湖畔を散策しヴェヴェイに行って反戦の喜劇王チャップリンとも会いましたが、数々の名画で有名なオードリー・ヘプバーンの博物館があるローザンヌを訪れるほどの時間はなく残念でした。パノラマ急行では先頭の展望車でイギリスの観光客と同席し、のどかな風景を眺めながらツヴァイジンメンでの車両交換を経てインターラーケンまで移動しました。

前述のように9.11テロの直後だけに、普通なら日本人観光客が殺到するグリンデルワルトも閑散としていて、好天ならさぞ楽しめただろうと今でも残念な気がします。予定通り早朝のバスでグローセシャイデッグに行き、そこからヴェッターホルンに始まりアイガーに至る素晴らしい山並みを目にしながら2000mの高所を歩くハイキングですが、この日は曇りがちで鮮やかな眺めとはいきません。フィルストに着く頃からチラホラ雪が舞うようになりましたが、昼食後10cm程の積雪を踏んで晴天なら素晴らしい眺めが得られる山上湖バッハ・アルプ・ゼーを訪れました。案の定、私がフィルストに戻った直後にこのコースは通行禁止になり、文字通り滑り込みセーフということになりました。

この翌日も含めていくつか予定していた山上ハイキングは天候の悪化で全て中止せざるを得なくなり、この旅の消化不良をもたらす主因となりました。特に最後に泊まったエンゲルベルクではティトゥリスでのハイキングを楽しみにしていただけに、何とも残念でなりません。



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    25 朝靄に霞むスイス最大の湖、レマン湖                    26 湖畔に建つシヨン城の望楼
    27 ヴェヴェイ、レマン湖畔のチャップリン像                 28 ゴールデン・パスを走るパノラマ特急の先頭展望車
    29 ゴールデン・パス沿線ののどかな風景
    30 グリンデルワルト、グローセ・シャイデック(1961m)からフィルスト(2171m)への快適なハイキングコース
    31 ハイキングコース半ば、冷たい雪解け水の流れ     
     32 岩肌を見せる、天気変化を予告する“お天気山”ヴェッターホルン(3701m)
    33 巣穴から出て姿を見せた愛らしいマーモット             34 ようやく近づいたフィルストの展望台
    35 雪の中をたどるバッハ・アルプゼーへの道        36 モノクロのバッハ・アルプゼーと霞むシュレックホルン(4078m)
 



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    37 ラウター谷の村、ウェンゲン                            38 ウェンゲンから見上げるメンリッヒェンの丘
    39 グルントから見るヴェッターホルン                    40 氷河に削られ高さ300mの岩壁に囲まれたラウター谷
     41 ラウター谷に降り注ぐ霧雨                       42 轟音とともに地中を流れ落ちるトリュンメルバッハの滝
    43 地上に流れ出たトリュンメルバッハの滝                44 雨に煙るミューレンの村
     45 マイリンゲン、アーレ・シュルフトの激流       46 アーレ・シュルフトの奇観、巨大な岩の割れ目に見る僅か1mの間隙 
    47 ティトゥリス(3033m)の麓、雨に煙るエンゲルベルク        48 エンゲルベルク〜ルツェルン間をつなぐLSE
 



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    49 リマト川とチューリッヒの町                     50 リマト河畔に建つグロスミュンスター大聖堂
    51 パノラマ・エクスプレスの展望車指定券              52 グリンデルワルト〜グローセ・シャイデック間のバス乗車券
    53 フィルスト〜グリンデルワルト間のゴンドラのチケット       54 スイスのICテレフォンカード
 


私が世界で最も好きな国スイスとはこの旅を最後にお別れとなりました。いかんせんヨーロッパ大陸も異常気象に見舞われていて、比較的安定するはずの9月が雨続きになってしまったのです。この旅が好天に恵まれていたらという思いは尽きませんが、それでもこうして一人旅を何の心配もなくできるよう観光客のための設備や交通などのシステムを整えてあるスイスこそ、まさしく「観光立国」の手本です。「何でも集団で」が当然とされてきた日本でもようやく一人旅への関心が高まってきましたが、まだまだ様々な面で不十分です。もしコロナの終息が実現したあかつきには、誰もが気軽に一人旅を楽しめるようになって欲しいものです。 


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    4 ヨーロッパを初めて訪れる旅 (84.8.5〜8.16)
                                                       

私がずっと憧れ続けていたヨーロッパを初めて訪れたのがこの旅で、JTBのプランの中から選んだ結果このコースが最適となりました。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ヨハン・シュトラウスなどの活躍の場であったウイーンに始まり、悠々と流れるドナウや美しい湖を経てスイスアルプスに至るコースは、私にとって願ってもないものでした。グループのメンバーも、趣味と目的を共有するせいか落ち着いた上品な人々で、事実上初めての海外旅行である私はとても恵まれていたと言えます。

当時はまだシベリア経由の空路はなく、ヨーロッパへの便は北回りか南回りに限られていました。このときは北回りで、最初の経由地であるアンカレッジから次のロンドンまでは北極の上空を横切って飛びました。機上から初めてヨーロッパの大地を目にしたときは、ひどく興奮したものです。
 


 行 程 の 概 略        赤字は宿泊先
  成田〜アンカレッジ〜(機中泊)〜ロンドン〜フランクフルト 〜Wien I.A.〜ウイーン(ケルントナー通り、シュテファン大聖堂、国立歌劇場)
Winkler Hotel〜(国会議事堂、ホーフブルク、ベルヴェデーレ宮殿、シェーンブルン宮殿、ワルツの夕べ)〜 Winkler Hotel〜中央墓地
〜ウィーンの森〜バーデン〜ハイリゲンクロイツ(ハイリゲンクロイツ修道院)〜「水車小屋の娘」作曲の家〜
Winkler Hotel〜クレムス
〜(ドナウ河クルーズ)〜デュルンシュタイン〜(ヴァッハウ渓谷)〜メルク(メルク修道院)〜ハルシュタット湖〜ザンクト・ウォルフガング
Salzburg(ミラベル庭園、ホーエン・ザルツブルク城、シュテファン大聖堂、レジデンツ広場、ゲトライデガッセ、モーツァルトの生家)
Salzburg〜ミュンヘン(ホフブラウ、噴水庭園、ニンフェンブルク宮殿、市庁舎)〜
Innsbruck(スキージャンプ台、旧市街、黄金の小屋根)
St.Moritz(Crystal Hotel)〜(Glacier Express…氷河急行)〜ブリーク〜レッチェンタール〜カンデルシュテーグ〜インターラーケン
Grindelwald〜クライネシャイデッグ〜アイガーヴァント(岩壁の窓)〜ユングフラウヨッホ〜Grindelwald〜インターラーケン〜ブリエンツ
Luzern(市庁舎、カペル橋、シュプロイヤー橋、瀕死のライオン像)〜チューリッヒ〜フランクフルト〜アテネ〜(機中泊)〜カラチ
〜バンコク〜成田 


 

                     
       @ ウイーン

ウイーンは私が最も好きな町の一つです。かつて隆盛を極めたハプスブルク王朝の栄華の都として残された文化遺産のみならず、クラシック音楽の世界で偉大な足跡を残した多くの作曲家たちの存在を、市内や郊外の至る所で感じることができるからです。また、郊外には有名なウイーンの森があり、市民の憩いの場となっています。 

なお、
このページの最上段「鉄道で巡る中部ヨーロッパ4都市の旅」にウイーン市内の詳しい情報や鮮明なデジタル画像が掲載されていますので、そちらもご覧ください。 












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     1 アラスカ、アンカレッジ空港           2 アンカレッジの市街           3 ウイーン国際空港の到着ロビー 
     4 ウイーンのショッピング街、ケルントナー通り              5 800年の歴史を誇るシュテファン大聖堂
     6 シュテファン大聖堂の内部                      7 シュテファン大聖堂界隈をそぞろ歩く人々
     8 オーストリア国会議事堂                        9 フェルディナンド皇太子の居城だったベルデヴェーレ宮殿
    10 歴代の王や皇帝の住まいだったホーフブルク宮殿       11 “ウィンナーワルツの夕べ”で踊る人々
    12 中央墓地、モーツァルトの墓碑                      13 ベートーヴェンの墓碑
    14 ヨハン・シュトラウス夫妻の墓碑                      15 シューベルトの墓碑
    16 開業600年の歴史を持つレストラン、クリッヒェンバイスル  
     17 クリッヒェンバイスルの壁に残された有名人のサイン         18 モーツァルテウムでのコンサートのチケット
 


       A ドナウ河、ザルツブルク

ウイーン郊外のクレムスからメルクまではゆったりとしたドナウ河のクルーズでした。途中にバッハウ渓谷と名付けられた部分がありますが実際は緩やかな流れが続くだけで、日本の渓谷の多くに見られるような岩を噛む急流とは全く違います。このコースにもいくつか音楽家ゆかりの場所があり、美しい湖とともに旅の疲労を癒やしてくれました。

なお、
このページの最上段「鉄道で巡る中部ヨーロッパ4都市の旅」にザルツブルク市内の詳しい情報や鮮明なデジタル画像が掲載されていますので、そちらもご覧ください。 



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    19 洞窟内に造られた、第2次大戦中にドイツが開発した世界最初のミサイルV−1ロケットの製造工場跡(絵葉書)
     20 ウイーン郊外バーデン、ベートーヴェンが下宿していた建物        21 ハイリゲンクロイツの僧院、中庭のペスト記念柱
    22 シューベルトが歌曲「美しき水車小屋の乙女」を作曲した家(入り口に楽譜が掲げられている)
    23 クレムスに停泊しているドナウ川のクルーズ船                24 悠々と流れるドナウ川
    25 ドナウ川の岩壁上に建つメルクの修道院                  26 風光明媚なハルシュタット湖
    27 ヨットが浮かぶザンクト・ウォルフガング湖                 28 ザンクト・ウォルフガング湖畔、モーツァルトの母の生家
    29 ザルツァッハ川を挟む新旧ザルツブルク市街             30 ザルツブルクの旧市街とホーエン・ザルツブルク城
    31 ホーエン・ザルツブルク城遠望                      32 モーツァルトの生家(現在は記念館)
    33 ドムとレジデンツ広場                            34 レジデンツ広場で食事中の観光馬車のロバたち
    35 ゲトライデガッセで演奏を披露する音楽家の卵たち          36 ゲトライデガッセの路面に宗教画を描く美術学生
 


       B インスブルック、グリンデルワルト、ルツェルン

チロルの山里の雰囲気はスイスにも似ていて、あの名画「サウンド・オブ・ミュージック」がここを舞台に撮影されたのも至極当然のように思います。

インスブルックからミュンヘン、そしてサン・モリッツから氷河急行でブリーク、更にグリンデルワルトと目まぐるしい動きはツアーではよくあることですが、この旅ではそれも全く気にならず、ひたすらスイスの雰囲気に浸ることを楽しんでいた私です。ミュンヘンでは巨大なビアホールでドイツ人たちに歓待されましたが、これまた巨大なソーセージが山盛りのおつまみにはお手上げでした。

グリンデルワルトからユングフラウヨッホへの登山電車が100年近く前にアイガーとメンヒの堅い山腹をくり抜いたトンネルを走るなど、鉄道王国スイスの底力には驚かされるばかりでした。
 



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    37 松本に似た雰囲が漂う山岳都市インスブルック            38 インスブルック旧市街の雑踏
    39 インスブルック旧市街に設けられたハプスブルクの権威を誇示した黄金の小屋根      
    40 名画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台、ザルツ・カマーグート地方         41 水清き噴水庭園
    42 ミュンヘン近郊、ニンフェンブルク宮殿                 43 ニンフェンブルク宮殿の天井に描かれた宗教画
    44 隅々まで正確に復元されたミュンヘンの新築市庁舎(立て替えの際に旧市庁舎を外壁の汚れも含めてそのまま復元)
    45 氷河急行沿線ののどかなアルプの風景
    46 氷河急行沿線随一の絶景ポイントだったローヌ氷河が迫る氷河湖 (現在はフルカトンネルが開通して見ることはできない)
    47 ブリエンツ・ロートホルンに登る強力なミニSL
           (
2 スイス山岳地帯の旅 1999年 の写真15,16にあるミニSLで、2300m近い山頂まで客車を押し上げるため
              急勾配に合わせた前傾車体になっている) 
     48 グリンデルワルトの駅前広場
 



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    49 夕暮れ近いグリンデルワルト                      50 ミート・フォンデュのお別れディナー
    51 BOBの登山電車から行く手を見上げる
    52 アイガーの岩壁に造られた中間駅アイガー・バントの窓から見る風景 
    53 高度3454mのユングフラウ・ヨッホ駅               54 ヨーロッパ最長(22km)のアレッチ氷河とクレバス
    55 ユングフラウ・ヨッホの展望台から見る周辺の山並み
    56 登山電車の中間駅クライネ・シャイデッグで、アルペンホルンの演奏
    57 ロイス川越しに見る旧ルツェルン市庁舎
    58 14世紀建造、ヨーロッパ最古、最長の木製の屋根付き橋、カペル橋(梁の部分に多数の絵が飾られている)
                         ※ 93年に火災に遭った後再建されている    
     59 もう一つの屋根付き橋、シュプロイヤー橋 
     60 中世フランスで、皇帝を守るため犠牲となったスイス傭兵を悼むために造られた“瀕死のライオン像”
 


初めてのヨーロッパ旅行はこうして終わりました。宝石のように美しいスイスに別れを告げ、いつの日か再びアルプスに対面することを誓いながら帰路についたのです。あいにく帰国便は南回りということになり、フランクフルトからアテネ、そしてカラチ、バンコクを経由して帰り着きました。今でもよく覚えているのはバンコクの空港で給油待ちをしたときのことで、信じられない暑さに失神しそうな思いをさせられたのです。並外れて暑さ嫌いの私にはこの怖ろしい体験が染みついていて、その後も東南アジアなど暑い国には全く興味が持てませんでした。また、根っからの山派であることから海には興味がわかず、ハワイなどもはじめから目的地として考えたことはありません。

この旅の頃はまだフィルムカメラだったので、写真は全てスキャナーと編集ソフトで加工したものです。不鮮明なものもありますがご了承ください。

このページの2.3には、その後のスイス個人旅行の情報を載せてあります。 


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