海外旅行2  各項目への
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 1 ニュージーランド南北二島    2 ニュージーランド南島    3 北欧4ヶ国とオランダ・ベルギー  
 4 カナダ西部   5 イタリア    6 地球の裏側からカリフォルニアへ   7 オーストラリア東南部


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   1 ニュージーランド南北二島の旅 (90.11.12〜11.21)         

北半球と南半球の違いはあっても、日本とニュージーランドは山がちの国土で地震国、大陸の沖に浮かぶ島国など色々な点で似通っています。この国の繊細で美しい景色はスイスに次いで大好きで、氷河を抱くサザンアルプスの山々や澄み切った水を湛える多くの湖を目にするだけで、心身がリフレッシュされます。中でも、マウントクック周辺とミルフォード・サウンドは絶対に見逃してはならないように思います。
   ※ ニュージーランドでは、“フィヨルド”を“サウンド”と名付けます。

ただ、唯一私にとって不都合なのは鉄道網が貧弱なことで、景勝地のほとんどはバスに頼らなければ行けないのです。スイスと比較してはあまりにも気の毒ですが、この点では日本にさえ遠く及ばず一人旅が難しい原因でもあります。

ニュージーランドは国を挙げて環境保護に並々ならぬ力を注いでいます。キーウィやタカヘなどの固有種の保護は徹底されていますし、海洋汚染の防止にも積極的に関与しています。世界でも最も進んだ“環境大国”ということができるでしょう。
 


 行 程 の 概 略         赤字は宿泊先
 成田〜(機中泊)〜オークランド〜クイーンズタウン(ボブズヒル、ワカティプ湖)〜Queenstown 〜 テアナウ〜(ミラーレイク)
〜ホーマートンネル〜ミルフォードサウンド(フィヨルド観光船)〜アロータウン〜Queenstown
Mt.Cook N.P.(Hermitage Hotel)
〜フッカーヴァレー〜峠の茶屋〜サインオブザタカヘ(古城レストラン)〜
Christchurch(クライストチャーチ大聖堂、追憶の橋、エイボン川、
  キャプテンクック記念像、キャプテンスコット記念像、植物園)〜Christchurch〜モナベイル〜
Christchurch I.A. Rotorua Airport
〜ロトルア湖(観光船)〜ガバメントガーデンズ(ロトルア博物館、ポリネシアンスパ)〜マオリコンサート・ハンギ料理〜
Rotorua(Sheraton Hotel)
〜ファカレワレワ(地熱地帯と間欠泉)〜レインボーファーム(羊の毛刈りショ−)〜ワイトモ(土ボタル鍾乳洞) 〜アオランギピーク(鹿牧場)
Auckland〜ローズガーデン〜オークランド博物館〜マウント・イーデン〜ランギトト島〜AucklandAuckland I.A. 〜成田 












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     1 ボブズヒルの展望台から見下ろすクイーンズタウン市街とワカティプ湖 
     2 ニュージーランド南島最大の湖、テ・アナウ湖         3 アルプスと牧場、ニュージーランドの代表的な風景
     4 ミルフォード・サウンドの岸辺                   5 ミルフォード・サウンドに流れ落ちる落差160mのボーエン滝
     6 違う角度から眺めるボーエン滝                 7 嶮しい山々に囲まれたミルフォード・サウンド
     8 ミルフォード・サウンド観光船の航跡               9 クイーンズタウン郊外、かつての砂金の町アロータウン
    10 サザンアルプスへの登山基地、マウントクック・ビレッジ  
    11 マウントクックを隠す巨大なモレーン(氷河が削り取った岩屑の壁)
    12 ようやく姿を現した崇高なたたずまいのサザンアルプスの王者、マウントクック
 



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     13 古城レストラン、サイン・オブ・タカヘ          14 クライストチャーチのシンボル、大聖堂(2011年の大地震で倒壊)
     15 大聖堂内部のステンドグラス              16 冒険家クック船長の像         17 探検家スコットの像
     18 エイボン川に架かるアーチのある石橋、追憶の橋       19 クライストチャーチ市民の憩いの場、緑豊かなエイボン川
     20 カヌーレースの応援に集まった市民たち            21 河畔に建つ古き良き時代の大富豪の豪邸、モナベイル
     22 牧場で草を食む羊の群れ                    23 北島への機上から見下ろすカンタベリー大平原
     24 ロトルア湖の岸辺に集まるブラックスワン
 



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    25 チューダー様式のロトルア博物館                   26 チューダータワーとポリネシアンプール
    27 ファカレワレワのマオリ伝統工芸専門学校生の工芸品      28 舌を出して威嚇の表情を見せるマオリダンス
    29 白煙が上がるファカレワレワの地熱地帯               30 ファカレワレワの間欠泉、噴出の模様
    31 レインボーファームで、羊の毛刈りショー                 32 ロトルア郊外、アオランギピークの鹿牧場
    33 ワイトモの土ボタル鍾乳洞                34 11月のローズパークガーデンに咲く八重桜(南半球なので当然)
    35 オークランド博物館に展示されたマオリの彫刻作品          36 マウント・イーデンから見下ろすオークランド市街
 


長年憧れていたニュージーランドを初めて訪れたのがこの旅で、ツアーとは言っても11人の小グループであったため集団が苦手の私にもあまり抵抗がなく、楽しい日々を過ごすことができました。ミルフォード・サウンド一帯は降水量の多さ(年間6000〜9000mm)で知られていますが、このときは幸い好天に恵まれました。この近くには“世界で最も美しい散歩道”と言われるミルフォード・トラックがあります。

また、英国風の庭園で知られ「ガーデンシティ」とも呼ばれていたクライストチャーチが大地震に見舞われ、日本人留学生も犠牲になりました。この町のシンボルでもあった大聖堂も崩れ落ちてしまい、写真14のような姿は見られなくなっています。

この国で特筆すべきは「先住民族のマオリの人々が、白人との戦いの後結んだ条約によって今では白人と同等の地位を保っている」ことです。従って、ここではアメリカのような人種差別に基づく争いは滅多にないそうです。
 


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   2 ニュージーランド南島絶景の旅 (96.11.24〜12.7)              

今回はスイスを彷彿とさせる南島だけをじっくり回ってみようと、ホテルと航空便以外は全て自由というプランを選びました。いわば“準一人旅”ですが、スイスと違い鉄道網が発達していない国なのでこの程度で我慢するしかありません。

飛行機のトラブルで出発が遅れたり、主催者の都合で他の大集団に合流させられかけたこともありましたが、何とか抵抗して当初の予定通りの準一人旅を楽しむことができました。
 11.20.21の写真に写っているご夫婦はたまたま目的地が同じだったので、食事をともにしたのです。


 行 程 の 概 略           赤字は宿泊先
 成田〜(機中泊)〜Christchurch I.A.Christchurch(市内観光)〜ChristchurchChristchurch I.A.Queenstown Airport〜モール〜アングリカン教会〜Hotel Terraces〜(外輪船クルーズ)〜ウォルターピーク牧場(スペシャルディナー)〜(外輪船クルーズ)
Queenstown(Hotel Terraces)〜スキッパーズ渓谷〜ショットオーヴァー川(バンジージャンプ)〜Queenstown(Hotel Terraces)
〜テカポ湖(善き羊飼いの教会)〜
Mt.Cook Village(Hermitage Hotel)〜キーポイント〜ミューラー氷河(第一の吊り橋)〜キーポイント
Hermitage Hotel
Mt. Cook Airport〜(セスナ遊覧飛行)〜Te Anau〜テアナウ湖(土ボタル洞窟)〜テアナウ〜(ミラーレイク)
〜ホーマートンネル〜ミルフォードサウンド(フィヨルド観光船)〜Te Anau
Christchurch Airport〜Auckland I.A.〜Auckland
〜Auckland I.A.
Nandi I.A.(フィジー)〜成田 












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     1 機上から見下ろすニュージーランド南島の平原  
      2 ニュージーランド国内線アンセット・ニュージーランド航空のジェット機
     3 コロネット・ピークとクイーンズタウン空港                4 お伽の国のようなクイーンズタウン空港のゲート
     5 クイーンズタウンの可愛らしいモール                  6 古い石造りのアングリカン教会 
     7 ワカティプ湖畔のリゾートホテル群                   8 ワカティプ湖とサザンアルプス
      9 ウォルターピーク牧場前のワカティプ湖の水面            10 ウォルターピーク牧場のレストラン
     11 2組の夫婦と一緒に牧場のレストランでディナー           12 バンジージャンプの名所、ショットオーバー川
     13 ショットオーバー川上流の岩山                   14 スキッパーズ・キャニョンの奥に残るパイオニアの家
     15 バンジージャンプに興じる人々                      16 テカポ湖近くのアイリッシュマン・クリーク
     17 テカポ湖へと通じる道                      18 “善き羊飼いの教会”から見るテカポ湖とサザンアルプス
 



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     19 国営ホテル、ハーミテイジでのディナー                 20 ハーミテイジで、マウンテンガイドのアンドリューと
     21 青い山脈を背にする国営ホテル、ハーミテイジ             22 フッカーヴァレーへのハイキングコースの案内板
     23 フッカーヴァレーへと通じるハイキングコース              24 ミューラー氷河に架かる第一の吊り橋のたもとで
     25 モレーンの彼方に輝くマウントクック(3754m)             26 マウントセフトン(3191m)
     27 サザンアルプスの王者、マウントクック                  28 テ・アナウ湖に映るサザンアルプス
     29 見事に逆さアルプスを映すミラーレイク                 30 ミルフォード・サウンドへの道から望むサザンアルプス
     31 ミルフォードサウンドのシンボル、マイター・ピーク            32 67歳の誕生日を祝う快晴のミルフォード・サウンド
     33 観光船上の人々                            34 ボーエン滝
     35 バスの車窓から見納めのサザンアルプス               36 帰国便のニュージーランド航空機
 


この旅ではたいへん嬉しい出来事が2つありました。一つはマウントクック山麓でフッカーヴァレーを経て氷河の近くの吊り橋(写真24)までのハイキングを楽しめたことです。そしてもう一つは、多雨地帯にあって中々晴れ間にお目にかかれないミルフォード・サウンドを再度訪れたとき、前回に続いて幸運にも晴天に恵まれたことです。その日がちょうど67歳の誕生日だったので喜びもひとしおでした。 

帰国便が途中フィジーのナンディ空港に立ち寄り、熱帯の国の空気に触れることになりました。海のレジャーが好きな人なら大喜びでしょうが、暑さ大嫌いの身にとっては降ってわいた災難としか思えませんでした。


それにしても、ニュージーランドは正真正銘の山紫水明を立派に維持しています。所構わずゴミを散らかしたり不意にタバコの匂いに襲われることもないので、安心して自然との対話ができます。スイスやカナダもそうですが、自然環境を守ろうとする意気込みが、行政面でも、また一般市民の間でも日本とは格段の差があるように感じます。かつて、環境汚染から自らの国を守るためにあの傲慢な超大国アメリカにまで楯突いたことさえあるこの国の人々の気概には、脱帽するしかありません。繊細な自然界の仕組みを大切に維持することより、目先の金儲けを優先してはばからないアメリカ追従型の国々では、ほとんど例外なくその悪影響が人々の心のあり方にまで及んでいるように思われてなりません。


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   3 北欧4ヶ国とベルギー・オランダの旅 (89.7.24〜8.6)

                                                                 

私が2回目のヨーロッパ旅行として選んだのがこの北欧の旅です。中でもノルウェーとフィンランドに興味がありいつかは個人で訪れたいと思っていましたが、残念ながらとうとうその機会は巡ってきませんでした。

今回は因果なことに50人の大集団で、しかも高年齢のメンバーが大部分を占めていました。ツアーガイドもさぞ苦労したことと思います。集団行動が何より苦手な私にとって唯一の救いは、同じような感覚の若いメンバーに出会ってから一緒に行動できたことです。(詳細は後述)
 


 行 程 の 概 略           赤字は宿泊先     I.A.は国際空港
 成田〜アンカレッジ〜(機中泊)Copenhagen I.A.Copenhagen(ゲフィオンの泉、救世主教会 、人魚の像、アマリエンボー宮殿)
Copenhagen(チボリ、クロンボー城)〜Copenhagen I.A.〜Oslo I.A.Oslo(オスロ大学、ヴィーゲラン公園)〜Oslo(アーケシュフース城、
  王宮、ヴァイキング船博物館、フラム号博物館)〜ハルダンゲルフィヨルド〜トロルハウゲン(グリークの生家)〜
Bergen(ブリッゲン、
  ハンザ博物館、5フロイエン)〜
Bergen〜ヴォス〜スタルハイム(ノール渓谷)〜ソグネフィヨルド〜フラム〜ミュルダール〜(特急列車)〜Oslo
Oslo I.A.Stockholm I.A.Stockholm(市庁舎、ドロットニングホルム宮殿)〜バルト海クルーズ(シリアライン)〜トゥルク
〜ハメンリンナ(シベリウスの生家)〜
Helsinki(市庁舎、元老院広場、ヘルシンキ大聖堂、テンペリアウキオン教会、シベリウス公園)〜HelsinkiHelsinki I.A.Bruxelles I.A.Bruxelles(グランプラス、小便小僧)〜ザーンススカンセ(風車群)〜Bruxelles〜ブルージュ(ベギン会修道院  運河巡り)〜ユトレヒト〜デン・ハーグ(マドローダム)〜AmsterdamAmsterdam I.A.〜成田 


 


       @ デンマーク、ノルウェー、スウェーデン

コペンハーゲンで先ず気付いたのは気温が30°であるのにさほどの暑さが感じられなかったことです。高温多湿に悩まされる日本との大きな違いです。有名なマーメイド(人魚姫)の像は予想より小さく、人波に押しつぶされそうにも感じました。

オスロ湾に浮かぶビグドイ島でヴァイキング船博物館を訪ねましたが、その昔欧米世界を席巻したヴァイキングたちの勇気と造船技術の高さに驚かされました。また、120体もの人体を彫り込んだヴィーゲランの彫刻(写真14,15)の印象は異様ですが、人間が一生に経験する悲喜こもごもの表現として深い感銘を与えてくれます。

実は、私を含めて実際は赤の他人の疑似姉弟と男の子のお母さんの4人で、ちょっとした冒険をやらかしたのです。かつての冬季オリンピックスキージャンプ会場として有名なオスロ郊外のホルメンコッレンのジャンプ台(写真16)に、何と真夜中に4人で頂上まで登ってしまったのです。何段あったかは覚えていませんが、支柱の中の階段をせっせと登って頂上に立ったときの強風に揺れるジャンプ台の感触は、今でも思い出すことができます。

ベルゲンの朝市での新鮮なサーモンは文字通りほっぺたが落ちそうな美味しさでした。ソグネフィヨルドもさすがの規模で、三陸海岸とはまるで桁違いのリアス式海岸の規模がいかに巨大かを思わせます。かつて第2次大戦中に、ナチスドイツがトロンハイムやナルヴィックなど多くのフィヨルドを海軍基地として利用したのも当然かも知れません。なお、フロム鉄道は現在はノルウェーで最も有名な観光路線として豪華な車両で運行され、乗客たちを存分に楽しませています。
 












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      1 コペンハーゲンの街角の風景                       2 夕暮れのショッピング街ストロイエをそぞろ歩く人々
      3 北欧神話の女神ゲフィオンの泉(絵葉書)                4 ねじり模様の尖塔を持つ救世主教会
      5 スウェーデンへのフェリーの起点、コペンハーゲン港の波止場  
       6 港の一隅に鎮座する意外に小さいマーメイド(人魚)像        7 女王の住むアマリエンボー宮殿
      8 最高地点が海抜180mの平坦なデンマーク平原           9 機上から見下ろすノルウェーの山岳地帯
      10 オスロの町並み          11 アーケシュフーズ城から眺めるオスロ港            12 オスロ大学
      13 オスロ湾内ビグドイ島、博物館に保存されているヴァイキング船
      14 ブログネル公園、人の一生を題材としたヴィーゲランの彫刻が並ぶ野外美術館
      15 ヴィーゲランの彫刻の細部
      16 オスロの郊外、ホルメンコッレンにあるスキージャンプ台(冬季オリンピックの会場としても名が知れている) 
      17 ジャンプ台近くに立つスキー狂だった故オーラフ五世の像                        18 オスロの王宮
 



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     19 オスロの王宮を警護する衛兵                    20 ハルダンゲルフィヨルド、岸辺の集落
     21 ベルゲンの近郊、グリーグの生家トロルハウゲン         22 グリーグの家に保存されている愛用の楽器
     23 かつてハンザ同盟の本拠だったベルゲン港ブリッゲン地区            24 ベルゲンのフェリーターミナル
     25 新鮮な海産物を提供するベルゲン魚市場の朝市       26 13世紀に創建されたヴォス教会
     27 奥穂高から見下ろす上高地に似ているノール渓谷の風景 
      28 全長204km、深度1308m、世界最深最長のソグネ・フィヨルド
     29 ミュルダールとフロムを結ぶ山岳観光路線のフロム鉄道
     30 渓谷を走るフロム鉄道の名物、ホームの真下を怒濤のように流れるヒョースの滝
     31 ミュルダール駅に進入したオスロ行き特急列車 
     32 オスロへの車窓から見る万年雪の世界、ハッリッグス山地            33 海上から見るストックホルム市庁舎
     34 市庁舎内、金箔モザイクの華麗な黄金の間
     35 スウェーデン国王一家の住まい、ドロットニングホルム宮殿            36 ドロットニングホルム宮殿の庭園
 


       A フィンランド、ベルギー、オランダ

ストックホルムからトゥルクまでのバルト海クルーズは、船内の豪華さと安定した航海で楽しいものでした。フィンランドでは、トゥルクからハメンリンナまでの移動の途中、湖畔のサウナを体験しました。丸太小屋の中での本場のサウナは、焼いた石で蒸気を発生させ白樺の枝で身体を叩くなど野趣豊かな本来のもので、滅多にできない経験でした。一方では、テンペリアウキオン教会のような個性的な建築物を生み出すのもフィンランドです。シベリウスの生家では、係のおばさんにリップサービスをしてフィンアンディアを聴くことができました。要するに「日本でもシベリウスは人気があるよ」とお世辞を言っただけなのですが。

ブリュッセルの街は何となく雑然とした感じでした。有名な小便小僧も本来の姿ではなく服が着せてあり、ここにも何かとうるさいPTAマダムがいるのかなと思わず吹き出してしまいました。ブルージュは町全体がまるで中世そのもので、とても印象的でした。また、アムステルダムで訪れたアンネ・フランクの隠れ家はいかにも狭く、ここでナチスの目を逃れながら日記を書き続けたことにたいへん感銘を受けました。
 



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    37 巨大なバルト海の連絡フェリー、シリアライン(パンフレットから)       38 フェリーから見る早朝のフィンランドの大地
    39 フィンランドの清浄な森と湖                       40 湖畔に建つ本場のサウナ小屋
    41 生家に保存されているシベリウス愛用の楽器             42 ヘルシンキ市庁舎
    43 ヘルシンキ大聖堂                           44 ヘルシンキ大聖堂の荘厳な内部
    45 岩山をくり抜いて造られたUFO型の教会、テンペリアウキオン
    46 岩が露出する不思議な雰囲気のテンペリアウキオン教会      47 ステンレスパイプのモニュメントが珍しいシベリウス公園
    48 ブリュッセル旧市街の中心グランプラスのカフェ           49 ブリュッセル市民のマスコット、600歳を超す小便小僧
    50 中世の面影を色濃く残すブルージュ、ベギン会修道院付近   51 ブルージュの運河沿いに並ぶ中世のままの家並み
    52 オランダのシンボル、風車群(絵葉書)               53 ミニチュア都市マドローダム、アンネ・フランクの家
    54 マドローダム、ミニチュアのチーズ工場
 


ところで、オランダではちょっとした出来事がありました。ブリュッセルからアムステルダムまではバスで移動することになっていたのですが、このツアーに参加する前に、私自身は途中から単独行動でハーグにあるミニチュア都市マドローダムに行くことを考えていたのです。コースの途中のユトレヒトでバスを降り電車でハーグに行くつもりだったのですが、いざそのときになって多くの人が行動を共にしたいということになり、結局ツアーグループが二分される羽目になってしまいました。私たちがマドローダムで楽しんだあと電車でアムステルダムのホテルに着いたのは夜半近くだったので、添乗員はさぞ気をもんだことでしょう。本当にお騒がせな私でした。 


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   4 カナディアンロッキーとヴィクトリアの旅 (92.9.12〜9.21)       
                                                           

広大なカナダのほんの一部に過ぎませんが、山好きの私のことでやはりカナディアンロッキーの山々に接することが一番の目的でした。サンフランシスコに似た雰囲気のヴァンクーヴァーからジャスパーまで、18時間かけて走る大陸横断鉄道VIAのカナディアン号の旅も大きな楽しみです。

ところがあいにくなことにカナディアン・ロッキーに沿って下るバスツアーの途中で体調を崩し39°の高熱で悩まされてしまいました。もっとも、悪天候でロッキーの眺めも十分とはいかず、損失は少なかったとも言えます。生来高熱には強いため、バンフのホテルで服用した解熱剤でケロッと治り、その後は自分の予定を無事に終えてから帰国便に乗ることができました。

さすが環境大国のカナダです。いくつもの湖はどれも清浄そのものでケバケバしい建物など一切なく、美しい風景を心ゆくまで堪能できます。また、ヴァンクーヴァーでは目の前の湾で新鮮な魚介類が獲れるので、寿司ネタなども豊富で日本の専門店よりずっと安くなっています。
 


  行 程 の 概 略           赤字は宿泊先     I.A.は国際空港
 成田〜(機中泊)〜シアトル〜Vancouver(Hotel Vancouver)〜ヴィクトリア(ブリティッシュ・コロンビア州会議事堂、ブッチャートガーデンズ)
〜ヴァンクーヴァー〜カナダプレイス〜トーテムポール公園〜
Vancouver(Hotel Vancouver)〜(The Canadian…VIA Rail Canada)
Jasper(The Fairmont Jasper Park Lodge)〜マリーンレイク〜Jasper(The Fairmont Jasper Park Lodge)〜アサバスカ(アサバスカ滝) 〜コロンビア大氷原〜ボウサミット(ペイトー湖)〜レイク・ルイーズ〜Banff(The Fairmont Banff Springs)〜ボウ滝〜カルガリー
Vancouver(Hotel Vancouver)〜ノースヴァンクーヴァー〜Vancouver I.A.Seattle I.A.(機中泊)〜成田 


 












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       1 海上から見るヴァンクーヴァーのスカイライン             2 スタンレーパークのトーテムポール 
      3 さざ波立つジョージア海峡                      4 ヴァンクーヴァーとヴィクトリアの連絡フェリー
      5 ヴィクトリアのシンボル、フェアモント・エンプレス・ホテル      6 ジェームズ湾岸でバグパイプを吹く人
       7 絢爛たるブッチャート・ガーデンの全景               8 ブッチャート・ガーデンのプロムナード
       9 ブリティッシュ・コロンビア州の州会議事堂
     10 VIAカナディアン号のドームカーから見る、明けゆくカナディアン・ロッキー
     11 VIA沿線の静かな湖                        12 秘境らしいたたずまいを見せるジャスパー駅頭
     13 キャビンの建ち並ぶジャスパー・パークロッジ           14 山を背に建ち並ぶジャスパー・パークロッジのロッジ群
     15 ジャスパー・パークロッジから見る朝のロッキー          16 低い雲が立ちこめる悪天候下のマリーン・レイク
     17 アサバスカ滝       18 高台から望むコロンビア大氷原(絵葉書)      19 烈風吹きすさぶコロンビア大氷原
      20 雪煙を上げるコロンビア大氷原                  21 ミスタヤ川とマウント・クライン
      22 カナディアン・ロッキーの真珠、清澄なボウ・レイク         23 コバルトブルーの水を湛えるペイトー湖
      24 カナディアン・ロッキーとレイク・ルイーズ(絵葉書)



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     25 樹林の中に建つバンフ・スプリングス・ホテル           26 バンフの町と背後に聳えるカスケード山
     27 映画「帰らざる河」の舞台にもなったボウ滝             28 モノレールから見るシアトルのスカイライン
     29 帰国便から見下ろすアラスカの山並み               30 ヴァンクーヴァーのデイパスチケット
 


この旅で最も印象深かったのはカナディアン・ロッキーの北の玄関口、ジャスパーでの滞在(ジャスパー・パークロッジ)です。広い敷地に多くのロッジが建てられていて、宿泊客はそれぞれのロッジに個別に泊まります。食事などのときは本館に集まる訳ですが、周辺にロッキーの山々が眺められ、閑静な雰囲気を存分に味わうことができました。一つだけハプニングがありました。朝目覚めて薄暗い中を本館に向かおうとした瞬間、目の前に黒い大きな動物がうずくまっていて、「さてはクマか」と心臓が止まる思いに襲われたのです。幸いその動物はエルク(鹿)だったのですが、敷地の囲いのすぐそばまでクマが寄ってくるそうなので油断は禁物です。

ところが、その直後の朝食時に「近くの森の中でアメリカ人夫婦がクマに襲われ、ご主人は亡くなり奥さんも重傷」との報告があり、とてもハイキングができる状況ではないと知ってガッカリしました。

帰国当日は高熱からも解放され、ワンデイチケットを手にシーバスで対岸のノース・ヴァンクーヴァーに渡りました。この町は私が住む千葉市の姉妹都市なので、ちょっとした表敬訪問ということになるでしょうか?帰国便の出発時刻が迫っていたため、この奥のキャピラノ渓谷は諦めました。

体調の悪さを割り引いてみても、私にはカナダの自然よりスイスやニュージーランドの自然の方が感覚的にピッタリするようです。例えば、スイスの山々はカナダのそれよりも1000m前後高いだけでなく、その風貌が荒々しい上に山と山との間隔が狭くなっていて一層の迫力を感じるのです。
 


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   5 鉄道で巡るイタリアの旅 (00.5.12〜5.21)    

この旅のとき既に70歳を超えていながら美術、建築、歴史などの素養が貧弱で根っからの自然科学バカである私が、なぜイタリアを訪れることを思い立ったかは自分でも不思議でなりません。人工物の良さも幾分かは理解できますが、どうしても「大自然が自然界の法則に従って造り上げた造形美」の方に惹かれてしまうのが私なのです。

確かにヴェネツィアやフィレンツェ、ローマなどの建築物の壮大さや細部まで神経を行き届かせた構造や装飾には驚きを感じます。たとえそれらが権力者による搾取と圧政の産物であったとしても、芸術作品や歴史の証人としての価値は無限に近いでしょう。

それにしても、ヨーロッパ人の過去の遺産に対する思いの深さには頭が下がります。ほぼ完全にアメリカナイズされ、貴重な文化遺産でも平然と汚したり壊したりすることが少なくない現在の日本とは比較になりません。簡単に壊れたり燃えたりする木と紙の文化と、半永久的に姿を残す石の文化との違いもいくらかは関係しているような気がします。
 


 行 程 の 概 略           赤字は宿泊先     I.A.は国際空港
 成田〜Milano Malpensa I.A.Milano(StarHotel Anderson)〜ドゥオモ〜王宮〜ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア〜スカラ座
〜ブレラ美術館〜ミラノ中央駅〜(都市間特急
IC CANALETTO)〜ヴェネツィア サンタ・ルチア駅〜Venezia(Grand Hotel Principe)
〜サン・マルコ広場(サン・マルコ大聖堂、鐘楼、ドゥカーレ宮殿、カフェ・フローリアン)〜サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
〜アカデミア美術館〜サン・ロッコ信徒会堂〜リアルト橋〜
Venezia(Grand Hotel Principe) 〜サンタ・ルチア駅〜(特急)〜ボローニャ
  (市庁舎、サン・ペトローニオ大聖堂、マッジョーレ広場)〜ボローニャ〜(都市間特急 M
IRAMARE) 〜フィレンツェ〜ピサ(ドゥオモ、斜塔、
  洗礼堂)〜ピサ〜フィレンツェ〜
Firenze(Hotel Paris)〜ダビデ像〜ネプチューンの噴水〜ウフィツィ美術館〜ポンテ・ヴェッキオ
〜ピッティ宮殿(ボーボリ庭園)〜アカデミア美術館〜ドゥオモ、ジオットの鐘楼〜花の聖母教会〜
Hotel Paris〜フィレンツェ〜(特急)
〜ローマ・テルミニ〜
Roma(Hotel Madison)〜トリトーネの噴水〜バルベリーニ宮殿〜スペイン階段〜コロンナ広場〜トレヴィの泉〜パンテオン〜ヴェネツィア広場(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂)〜フォロ・ロマーノ(ティトゥスの凱旋門、アントニヌスとファウスティーナの神殿)
〜コロッセオ〜
Hotel Madison〜(GREEN LINE TOURS)〜ナポリ(サン・マルティーノ僧院、ナポリ港)〜ポンペイ(アポロの神殿、バシリカ、
  フォロ、 カリグラ帝の凱旋門、円形劇場) 〜 Hotel Madison〜ヴァティカン市国(サン・ピエトロ大聖堂、ヴァティカン美術館)
〜アウグストゥス帝廟〜ゲーテ博物館〜ポポロ広場〜ローマ・テルミニ〜アルバーノ湖〜ローマ・テルミニ〜
Hotel Madison〜ローマ・テルミニ〜Fiumichino I.A.(機中泊)〜成田 

 


       @ ミラノ〜ヴェネツィア〜ピサ〜フィレンツェ
 

シャトルバスでミラノに着いた途端早速うさんくさい人々のお出迎えを受け、駅前広場の向かいにあるホテルに行くのさえ油断も隙も禁物でした。翌日の午後早く列車でヴェネツィアに出発しましたが、スイスのような託送システムがないためスーツケースの扱いには苦労したものです。

ヴェネツィアの町はこじんまりとまとまり、水上交通が発達していて車は進入禁止なので、比較的安心して歩くことができました。ヴァポレットという水上バスが中々便利で、これと2本の脚で十分回ることができます。サンマルコ広場には映画「旅情」に登場したカフェフローリアンがあり、たまたま出会った日本の女子大生と一緒に食事を摂りました。連絡船で渡ったムラーノ島では素晴らしいヴェネツィアン・グラスが見られましたが、その高価なこと・・・、まだユーロでなくリラだったため尚更高価に思えました。(所々にあるチケットの料金表示からも当時のリラの軽さが分かります)

ボローニャに立ち寄ったあとフィレンツェに行き、ホテルに荷物を預けてピサに向かいました。ここでは斜塔などの観覧券売り場でごまかされそうになり、抗議してようやく本来の割引入場券を手に入れたのですが、全く油断も隙もないのがイタリアという印象が益々強くなりました。

フィレンツェは町全体が美術館のようなものですが、何しろ暑くてほとんどをバスと徒歩で回る私には残酷な一日となりました。何と言ってもジェラートが最高の友で、いわば“花より団子”ならぬ「美術よりジェラート」という情けないことになりました。
 


                           










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      1 早朝のミラノ、ドゥオモ                       2 時の支配者が居を構えてきた王宮
      3 ヴィットリオ・エマヌエーレ二世ガレリアの入り口         4 ミラノスカラ座とトラム
      5 日々沈みゆくヴェネツィア、運河沿いの風景         6 大運河から仰ぎ見るドゥカーレ宮殿
      7 サンマルコ広場を散策する人々                 8 11世紀のビザンチン建築、華麗なサンマルコ寺院
      9 サンマルコ広場に立つ鐘楼                  10 鐘楼から見下ろす大運河
     11 鐘楼から望むヴェネツィアングラスで有名なムラーノ島方面
     12 鐘楼から見るサンタマリア・デル・サルーテ教会       13 映画「旅情」の舞台、カフェ・フローリアンの楽士たち
      14 カンツォーネの歌声とともに出発するゴンドラ          15 16世紀末建造の大理石の橋、リアルト橋
      16 内部に美術館を持つボローニャ市庁舎            17 ガリレオの実験で知られるピサの斜塔
     18 ピサ、ドゥオモと洗礼堂
 



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     19 ピサ、ワイヤーで囚われの身となった斜塔(修理中)      20 フィレンツェ、ミケランジェロのダビデ像(コピー)
     21 フィレンツェ、ウフィツィ美術館の回廊            22 アルノ川に架かる橋、ポンテ・ヴェッキオ(橋上に貴金属店)
     23 内側から見るピッティ宮殿        24 ピッティ宮殿の施設、ボーボリ庭園        25 花の聖母教会の前面
     26 ミラノ・マルペンサ空港〜ミラノ中央駅間のチケット      27 ミラノ、ドゥオモの観覧券
     28 ミラノ〜ヴェネツィア間のチケット                  29 ヴェネツィア、ヴァポレットの乗船券
     30 ヴェネツィア、サンマルコ広場、鐘楼の入場券        31 ヴェネツィア、ドゥカーレ宮殿の入場券
     32 ヴェネツィア〜ローマ間の乗車券                 33 フィレンツェ〜ピサ間の乗車券
     34 ピサ、斜塔とドゥオモその他の共通入場券            35 フィレンツェ、市内交通機関の共通乗車券
 
     36 ボーボリ庭園の観覧券


       A ローマ、ポンペイ

フィレンツェから特急列車で2時間弱、ローマ・テルミニ駅に到着した途端、またまたミラノ同様駅前広場では怪しげな目つきをした人々が周囲をうかがっていました。全身に鎧でも着たような感じでとにかく先ずホテルへと急ぎ、身軽になってから出掛けたのです。初日の散策コースの複雑さから、地下鉄の利用をやめて歩くことにしました。状況に応じて自由に切り替えられるからです。

かつては古代ローマの政治の中心だったフォロ・ロマーノも今では一部を除けば廃墟同然の姿を見せています。また、コロッセオは確かに圧倒的な規模の建築物ですが、何回か映画で見た囚人と剣闘士や猛獣との闘いが実際にここで行われたのは現代人からみれば残酷極まりないことで、いつの世も権力者は身勝手で傲慢であることを証明する一つの遺跡であると言えるでしょう。しかし本当のところは、様々な飛び道具を駆使して戦争という大量殺人に精を出す現代人に、偉そうなことを言う資格は全くありません。悲しいことですが、形が変わっても人間が心の中から獣性を完全に払拭することは至難の業、と言うより不可能なのかも知れません。
 

有名なトレヴィの泉は、季節外れの暑さにもかかわらず写真57のように人波でした。

ローマ最後の日は早朝の地下鉄でヴァティカンを訪ねたのですが、その車内で若い女性がバッグを強奪される場面を目撃しました。周りの乗客は日本同様見て見ぬ振りです。早起きのおかげでヴァティカンに着いたときはまだ人影もまばらで、朝日を浴びて輝く大聖堂をゆっくりと鑑賞できました。美術館の行列も短くて簡単に入場でき、システィーナ礼拝堂の素晴らしい絵画を落ち着いて鑑賞できました。

2000年以上前にヴェスヴィオ火山の大噴火による火砕流で消滅したポンペイを訪ねました。古代ローマの裕福な人々の保養地だったそうで、それを証明する数々の遺跡には興味を惹かれました。南イタリアは火山が多く地震も起きがちな地域です。



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     37 ローマ・テルミニ駅の構内                    38 ローマ、バルベリーニ広場の「トリトーネの噴水」
     39 バルベリーニ宮殿(現在は国立絵画館)        40 スペイン階段(正式名称はトリニタ・ディ・モンティ教会の階段)
     41 トリニタ・ディ・モンティ教会                     42 トリトーネ通りから見るモンテ・チトリオ宮殿
     43 マルクス・アウレリウスの円柱                   44 ヴェネツィア広場
     45 ヴェネツィア広場に隣接するヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂
     46 古代ローマの政治の中心だったフォロ・ロマーノ        47 フォロ・ロマーノの遺構
     48 フォロ・ロマーノ、ティトゥスの凱旋門               49 フォロ・ロマーノ、アントニヌスとファウスティーナの神殿
     50 フォロ・ロマーノからコロッセオへの道              51 血なまぐさい闘争の場だったコロッセオの外壁
     52 コロッセオの内部           53 コンスタンティヌス帝の凱旋門             54 パンテオンの外観
 



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     55 パンテオンの内部      56 ポーリ宮の壁を利用して造られたトレヴィの泉        57 トレヴィの泉に群がる人々
     58 ヴァティカン、サン・ピエトロ広場                  59 サン・ピエトロ広場に建つオベリスク
     60 朝日に輝くサン・ピエトロ大聖堂                 61 カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂
     62 ヴァティカン美術館、ピーニャの中庭       63 ローマの共通乗車券        64 コロッセオの入場券
     65 ヴァティカン美術館の観覧券                   66 イタリアのテレフォンカード
 


       


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     67 ポンペイの遺跡から眺めるヴェスヴィオ火山           68 ポンペイのフォロ(公共広場)
     69 ポンペイのメインストリート、アッポンダンツァ通り          70 ポンペイ、アポロの神殿
     71 カリグラ帝の凱旋門            72 ポンペイ、パジリカ            73 ポンペイ、円形劇場の外壁
     74 ポンペイ、大体育館跡                       75 法王の別荘もあるローマ郊外のアルバーノ湖
     76 空港行き列車の出発駅、フィウチミーノ駅のホーム       77 ポンペイの遺跡入場券
     78 ローマ・テルミニ〜フィウチミーノ間の空港特急の乗車券
 


結論から言えば、この10日間のイタリアの旅は私にとってやはり「猫に小判」(「豚に真珠」だったかも?)という表現が相応しいように思います。歴史や美術、建築などの知識がほとんどないのに「一度くらいは自然風景でなく長い歴史を持つ国に行ってみようか」という軽い気持ちで出掛けたのが、そもそも間違いだったのです。確かにヴェネツィア、フィレンツェ、ローマそれぞれが歴史の深さを感じさせる何かを示してはくれましたが、予備知識の乏しさはどうにもなりません。恥ずかしいことですがこれが本当なのです。

心身をリフレッシュできる山登りや高原歩きではなく、溢れる車と人波、それに汚染された空気に悩まされながら堅い路面を歩く辛さ、その上イタリアだからこそのあらゆる危険への対応による緊張が加わり、とてもスイスの旅のような爽快な気分になれるはずもなく、再訪を願ってトレヴィの泉にコインを投げ入れる気分には到底なれませんでした。

ホテルのやり口も私のイタリアに対する印象を更に悪化させるものでした。知人への絵葉書にちゃんと
AIR MAILと朱書し料金も払って投函を頼んだのに、実際に日本の友人に届くまで2ヶ月もかかったのです。神戸の中央郵便局から連絡が送られてきたことを考えれば、投函を依頼したコンセルジュが(恐らく意識的に)間違えた振りをして(料金をネコババして)船便にしたのです。それまで何回もメールで問い合わせてもなしのつぶて、毎度のことながらイタリア人のいい加減さに呆れ果てました。 


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   6 地球の裏側の国からカリフォルニアへの旅 (80.10.8〜11.6)……視察旅行       

仕事関係の視察旅行ですが、私にとって形の上では初めての海外旅行ということになります。50人の大集団である上、国によっては夜半過ぎまで拘束される始末で、日頃から規則正しい生活が習慣化している私は生活のペースを大きく乱されることが度々あって、かなり辛い毎日でした。

当時は1ドル=240円の時代で、旅費の半額負担もかなりの重荷でしたが、今となってみれば、滅多に訪れることのないラテンアメリカの雰囲気を直接感じることができたのは、貴重な体験だったとも言えます。

ただ、1ヶ月の中で完全なフリータイムが合わせて僅か4日しかなかったのは、どう考えてみても少なすぎました。そのせいか、50歳を過ぎていたこのとき既に「隙あらば一人歩きを・・・」という姿勢が目立っていた向こう見ずでわがままな私でした。


ロサンゼルスからモンテヴィデオまでは14時間の長〜い移動でした。その上リオ・デ・ジャネイロ空港では、ラテン系の呑気さも加わって機体のトラブルなどで数時間待たされました。日本ならマスコミを賑わす大事件になっても不思議はなかったでしょう。


 行 程 の 概 略           赤字は宿泊先     I.A.は国際空港
 成田〜(機中泊)Los Angeres(Holiday Inn)〜アナハイム(ディズニーランド) 〜グリフィス天文台〜Holiday Inn〜ラフォイア〜サン・ディエゴ〜ティファーナ(メキシコ)〜Holiday InnLos Angeres I.A.〜マイアミ〜(機中泊)〜リオ・デ・ジャネイロ〜サンパウロ〜ポルトアレグレ
Montevideo I.A.〜Hotel President〜独立広場(アルティガス像)〜国会議事堂〜Hotel President〜(この間、4ヶ所の視察)
Hotel President 〜在ウルグアイ日本大使館 〜Hotel President〜中央駅〜(ロ−カル列車で田舎への小旅行)〜中央駅〜市庁舎
Hotel President
Carrasco Airport 〜(ラプラタ河口の斜め横断)〜Buenos Aires I.A.〜(アンデス横断)〜Lima I.A.
Lima(Hotel Crillon)〜人類考古学博物館〜パチャカマック遺跡〜Hotel CrillonLima I.A〜Trujillo AirportTrujillo(Hotel el Golf)
〜(この間、3ヶ所の視察)〜ワンチャッコ海岸(トトーラ) 〜Hotel el Golf〜(この間、3ヶ所の視察)〜
Hotel el Golf〜(この間、2ヶ所の視察)
Hotel el Golf〜トルヒーヨ市スポーツセンター〜Hotel el Golf〜チャンチャンの遺跡〜日本・ペルー文化協会〜Hotel el Golf
Trujillo Airport(機中泊)Mexico City I.A. Houston I.A.〜Los Angeres I.A.〜(グレイライン長距離バス)〜Visalia(Holiday Inn)
〜ヨセミテ国立公園
Holiday Inn 〜(この間、4ヶ所の視察)〜Holiday Inn〜(この間、5ヶ所の視察)〜Holiday Inn〜(この間2ヶ所の視察)〜Holiday Inn〜(グレイライン長距離バス)〜San Francisco-オークランドベイブリッジ〜フィッシャーマンズワーフ〜ゴールデンゲイトブリッジ
Bevery Plaza Hotel〜パウエルストリート〜フィッシャーマンズワーフ〜ギラデリスクウェア〜ベイクルーズ〜フィッシャーマンズワーフ
〜海洋博物館(マーメイド号、ユーレカ号)〜マーケットストリート〜パウエルストリート〜無人電車
BART(パウエルストリート〜バークレイ
〜リッチモンド〜オークランドシティセンター〜モンゴメリーストリート)〜
Bevery Plaza Hotel〜パウエルストリート.〜BART(パウエルストリート
〜ラフォイア〜コンコルド〜ダリシティ〜パウエルストリート)〜
Bevery Plaza HotelSan Francisco I.A.(機中泊)〜成田 


 


       @ ウルグアイ

ウルグアイは日本からみて地球の反対側にあり、かつてイギリスとアルゼンチンが戦ったフォークランド諸島からもさほど遠くない小国ですが、治安はしっかり維持されていました。スペインの植民地だった頃の名残が町のそこかしこに見られ、町行く人々を見てもヨーロッパ系の顔をした人が多かったように思います。ドアやボンネットがない車が堂々と町のど真ん中を走る光景は、車を必死になって磨く日本人と比べてたいへん愉快に感じました。

少しでも集団から脱出したい私は僅かな自由時間を利用して田舎への小旅行に出掛けましたが、中々いい気晴らしになりました。旧式のディーゼル機関車が引くローカル列車の車掌は、ビヤ樽のような巨体を揺すりながら、東洋からのお客にも陽気に応対してくれました。












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      1 メキシコ国境の町ティファーナのソンブレロ売り        2 リオ・デ・ジャネイロ空港、トラブル続出のクルゼイロ航空機
      3 モンテヴィデオへの機上から見るアンデスの夕暮れ     4 モンテヴィデオ、朝日を浴びて輝くモニュメント
      5 ウルグアイ国会議事堂                       6 繁華街をそぞろ歩くモンテヴィデオの若者たち
      7 ウルグアイ独立の志士アルティガスの像             8 モンテヴィデオ市庁舎
      9 モンテヴィデオ中央駅               10 ローカル線を走る古色蒼然としたディーゼル機関車
      11 モンテヴィデオ郊外、ローカル線の無人駅         12 田園地帯をまっすぐに貫く田舎道
 


       A ペルー

ラプラタ河の河口を斜め横断するのにプロペラ機で40分かかったことでも、日本とのスケールの違いが分かります。このあとブエノスアイレスからリマまでのペルー航空機から見た雲海の彼方に輝くアンデス山脈は、ひどく印象的でした。

面白いのは、リマ郊外の砂漠地帯に囲いを造り3年間住むと、その土地をタダで自分のものにできる制度が存在したことです。実際あちこちに旗を立てた囲いが見られました。日本でこのような制度があったらどんなことになるでしょうか?もっとも、敗戦時の東京では、勝手に土地を占拠してそのまま居座り、のちに大富豪に化けた人々も少なからずいたそうです。何しろ度重なる空襲で戸籍関係の書類などもほとんど焼けてしまったため早い者勝ちだったという訳で、いつの世も正直者はバカを見る一つの例です。

リマもそうですが、当時のペルーでは「輝ける道」という名の反政府グループの活動が盛んだったためかなり危険な状況で、滞在先のホテルから単独での外出はできませんでした。また水質が極端に悪く消化器系を病むメンバーが続出し、ご多分に漏れず私も一晩苦しみました。そのため、飲み物はコカ・コーラかお汁粉のようにどろどろした濃過ぎるコーヒーしかなく、胃腸にとっては滅多にない受難の日々でした。
 



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     13 アルゼンチン、ブエノスアイレス空港                14 ペルー、太平洋岸リマ近郊のパチャカマック遺跡
     15 太陽の神殿から見るルビンのオアシス               16 パチャカマック遺跡、声の反響を利用した会議場跡
     17 遺跡の一隅で飼育されているアンデスの代表的な動物アルパカ
     18 雨も降らず乾燥し切っているため半永久的に残る、リマ郊外の砂丘に描かれた幾何学模様
     19 リマ郊外の小さな丘に張り付く貧民たちの住居         20 リマ中心部の町並み
     21 リマの街角に立つインディオの人々                 22 リマの街角で商いをするインディオの女性
     23 国立考古学博物館、陳列された埴輪              24 国立考古学博物館に保存されているミイラ
     25 ペルー北部、トルヒーヨ郊外、チャンチャンの遺跡の壁に刻まれた彫刻          26 トルヒーヨの街角の風景
     27 トルヒーヨ、インディオの少女たち                  28 ペルーの伝統j的な織物
      29 民俗楽器を演奏する人々              30 トルヒーヨ郊外、ワンチャッコ海岸に見る葦作りの漁船トトーラ
 


       B カリフォルニア

ロサンゼルスからサンフランシスコへの移動の途中ヨセミテ国立公園に寄りましたが、この年のヨセミテは非常に雪が深かったので奥には入れず残念でした。

視察旅行の最後になってやっと手にしたサンフランシスコ滞在中のフリータイムは、文字通りフルに一人歩きに利用しました。サンフランシスコ名物のケーブルカーや無人運転が売り物のBART、それにもちろん健脚を駆使してウォーターフロントから高台の住宅地まで訪れたのです。BARTは南北方向だけ乗りましたが、南行きでは一つ驚いたことがありました。ある一駅を境にトンネルやプラットホームの様子がガラッと変わったのです。それまでと比べて異常に暗く陰惨な感じなのです。調べてみると南側は黒人の居住地域ということで、現在でも全く変わらないアメリカらしさでした。見事な人種差別が依然として根強く生きているアメリカという国の実態を、改めて認識させられました。



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     31 バスの車窓から見る果てしないカリフォルニアの大平原     32 豪雪で立ち入り禁止のヨセミテ国立公園
     33 名残惜しい快晴のヨセミテ国立公園                34 ハロウィーンの仮装をした大学生の一団
     35 海から眺めるサンフランシスコのスカイライン             36 サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ
     37 アル・カポネも収容された重罪人専用の収容所、アルカトラズ島
     38 サンフランシスコのシンボル、ゴールデンゲイト・ブリッジ       39 路上のパフォーマンス、ワンマン・オーケストラ
      40 金門橋公園に設けられている咸臨丸記念碑           41 サンフランシスコ中華街の入り口
     42 サンフランシスコのウォーターフロント                43 運賃25セント、坂の町サンフランシスコの主役
     44 湾口近くの多数のアザラシが棲む島                45 ベイクルーズを楽しむ人々
     46 クルーズ船から眺めるサンフランシスコ                47 サンフランシスコのビジネス街
     48 無人電車バートのパウエル・ストリート駅ホーム
 


こうして30日間の苦行が終わりました。その中でつくづく考えさせられたのは一部メンバーの視野の狭さと「にわか成金根性」です。視野の狭さは一朝一夕に広がるとは思いませんが、成金根性をむき出しにする人々には随分恥ずかしい思いをさせられました。ペルーの人々の貧しい生活振りを見てことごとに軽蔑し、それを露骨に言動に表すのです。現地の人々も表情や雰囲気から侮辱を感じたに違いありません。身なりや生活ぶりが貧しくても懸命に生きている人々を見下すなど、傲慢過ぎます。金持ちだからといって人間が立派なわけではないのです。このような人物に限って、上司や地域の有力者など権力を持つ者相手ではペコペコとするのです。

だいぶ前からカネが全ての「金(カネ)本位主義」に走ってきた日本ですが、アメリカの指導層が持つ価値観を世界最高のものと信じ込み、国情の違いを無視して何でも真似をし続ける先には、どんな未来が待ち受けているのか何となく想像できます。そして21世紀の初期を過ぎつつある今、社会環境は年々悪化の一途をたどっています。「世界第3位の経済大国」をいくら唱えてみても、国際的な色々な指標は日本人の生活が本当の意味で豊かであるとは言えないことを示しています。最近は特に「日本よいとこ」を強調する傾向が目立つようになってきましたが、これは一面非常に怖いことだと思います。


サービスの良かったパンナム航空もとうになくなり、アメリカそのものも建国の精神はどこへやら、幻の大量破壊兵器を理由にイラクを攻撃したり、今では史上最悪の大統領が、核ミサイルの削減や地球温暖化対策の重要性よりも自国の利益を第一に世界を振り回すようになり果てました。このような知性を欠く人物が世界を取り仕切るようでは、人類の未来は危うくなるばかりです。


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   7 オーストラリア東南部の旅 (94.10.24〜11.2)
                                                 

ニュージーランドと同じくオーストラリアも日本との時差がほとんどないので、機上で過ごす時間の長さにさえ耐えられれば比較的楽な海外旅行です。ただ、オーストラリアと一口に言っても、実際は東西、南北とも数千キロの大陸であり、どこを訪れるかによって服装などの準備にはかなりの配慮が必要です。私は並外れて暑さに弱いので、ゴールドコーストの気温がとても気にかかりました。

自然派とは言っても、動植物よりも山や高原、湖などに遙かに深い関心を持つ私は、山水の美がふんだんにあるお隣のニュージーランドに比べれば、山らしい山がないオーストラリアには特に興味もわかず、メルボルンに住む知人との再会が唯一最大の目的でした。
 


 行 程 の 概 略           赤字は宿泊先     I.A.は国際空港
 成田〜(機中泊)Sydney I.A.Brisbane AirportGoldcoast Airport〜ドリームワールド〜Goldcoast (Goldcoast International)
〜サーファーズパラダイス〜シーワールド〜カランビン野生動物保護園〜土ボタル探検〜Goldcoast International〜マウントタンボリン
〜ムービーワールド〜Goldcoast InternationalBrisbane Airport
Melbourne I.A.〜王立植物園〜クイーンビクトリアマーケット
Parkroyal Melbourne〜(ツアーから脱出)〜ダンデノン(猪股邸)〜猪股夫妻と散策(クイーンヴィクトリア公園、ヤラ川、 ヴィクトリア美術館、    パッフィンビリー観光鉄道)〜セントポール大聖堂〜フリンダースストリート駅〜Parkroyal MelbourneMelbourne I.A. Sydney I.A.
〜シドニーオペラハウス〜シドニーハーバーブリッジ〜
ydney Renaissance Hotel〜サーキュラキー〜シドニー中央駅〜(電車で郊外へ)
〜カトゥンバ〜ブルーマウンテン国立公園(スリーシスターズ、シーニックレイルウェイ)〜カトゥンバ〜シドニー中央駅〜
Sydney Renaissance Hotel
Sydney I.A.〜成田 












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      1 ゴールド・コーストのリゾートホテル群                 2 ドリーム・ワールドのメインストリート
      3 ワイルドライフ・エクスペリエンスのクロコダイル             4 シーワールドの水上スキーショー
      5 ムービーワールド周辺の熱帯植物                   6 ワーナー・ブラザーズのイベントホール
      7 マウント・タンボリンのハンググライダー                  8 バスから見るメルボルン市街
      9 メルボルンの遊覧馬車                        10 駅舎の長さで有名なフリンダース・ストリート駅
     11 古い伝統を感じさせるセントポール寺院              12 セント・パトリック大聖堂(絵葉書)
     13 ダウンタウンを望むヤラ川のほとりでKさんと            14 ダンデノンの公園でIさん夫妻
     15 ダンデノンのレストランでIさんと食事
     16 遊覧列車パッフィン・ビリー号の無人駅エメラッルドで、乗車前の一仕事         17 遊覧列車のSL運転席で
     18 シドニー空港のカンタス航空フロアに掲げられたアポリジニの手になる芸術作品
 



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     19 シドニー湾岸でひときわ目を惹く、ヨットをイメージした設計のシドニー・オペラハウス
     20 シドニー湾岸の憩いの場所、王立植物園           21 王立植物園から望むハーバー・ブリッジ
     22 シドニー駅のホームで、郊外電車シティレイル          23 ブルー・マウンテン国立公園の入口カトゥンバ駅に到着
     24 ブルー・マウンテンの奇観、スリー・シスターズ         25 スリー・シスターズと背後の大岩壁
     26 青く霞むブルー・マウンテンの岩壁群               27 ブルーマウンテン国立公園に見る深い洞穴
     28 土ホタルツアーの修了証                     29 シドニー〜カトゥンバ間の乗車券
     30 ホテルのコンセルジュから貰ったシティレイルの公式時刻表
 


いかにも亜熱帯らしいゴールドコーストは、やはり若者や派手な活動を好む人々のための町という感が強く、山の静寂が何より好きな私には退屈な3日間に過ぎませんでした。私がこのツアーに参加したのはメルボルンが含まれていたからです。シドニーのようにアメリカナイズされた猥雑さもなく、19世紀の英国風の落ち着いた町であり、ここでツアーを抜け出して郊外に住む知人との楽しいひとときを過ごせたのは大きな喜びでした。

自由行動の一日を利用してハイキングに出掛けました。シドニーから電車で2時間ほどのちょっとした国立公園です。僅かな時間ながら山腹を歩き回り、この旅で唯一自然に触れることができた貴重なひとときでした。
 


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