宿泊旅行3 各項目への
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   1 北海道の大地つまみ食いの旅     2 三陸の絶景と復活した鉄路       3 カシオペアで日本最北端と大雪山麓 
   4 北東北の世界遺産と津軽半島    5 トワイライトエクスプレスで北海道へ    6 津軽海峡を初めて渡る

                          
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   1 北海道の大地、つまみ食いの旅 (09.10.6~10.10)

国内旅行で空路を絶対に使いたくない私は北海道新幹線の開通を待っていましたが、この時点では間に合いそうもないので諦めました。たまたま見かけたチラシに鉄道中心のツアーが載っていたので参加することにしたのです。一人では参加できないフルムーンなのがキズですが、まあ仕方ないでしょう。当然自由に歩き回ることはできなくなり、時間的な余裕もないことは覚悟するしかありませんが、それも程度問題です。

台風が日本列島を縦断する予報が出ていたので鉢合わせを覚悟して出掛けましたが、この点だけはまれに見る幸運でほとんど影響を受けませんでした。
 


  千葉~東京~八戸~函館~湯ノ川温泉飛天~函館~南千歳~池田~足寄~オンネト-~ホテル阿寒湖荘~摩周湖~硫黄山
~知床五湖~オシンコシンの滝~知床斜里~北浜~天都山~
ホテル網走湖荘~旭川~美瑛(四季彩の丘)~富良野
札幌センチュリーロイヤルホテル~函館~八戸~東京~千葉 


       ① 函館~オンネト-

初日は函館のつまみ食いでしたが、天候が良かったので夜景もゆっくり眺められました。市内は元町を少し歩いただけですが、函館は4年前にくまなく歩き回っているので問題はありません。

二日目は函館から南千歳を経て列車やバスで阿寒湖までの長旅です。首都圏に比べて路盤が必ずしもよくなさそうな線路を、振り子式の特急が高速で飛ばすので横揺れがひどく、納得できる写真を撮るのに苦労させられました。南千歳で列車を乗り換え、池田からはバスでの移動です。日高山脈を横切る狩勝峠の絶景を撮るつもりが、ちょうどその直前にデジカメが電池切れとなり、電池交換の間に絶景ポイントは過ぎ去ってしまいました。もっとも、過酷な峠越えを避けるため長いトンネルで抜ける新線になってからは、絶景も以前ほどではなくなったそうですが。

池田からは窮屈なバスでの長距離移動です。ツアー特有の(多分提携先の)物産店に多くの時間を割き、この日の最高スポットであるオンネト-に到着したのが夕方薄暗くなる頃というツアーによくある絶望的な事態に遭遇し、改めてマイプランによる一人旅の良さを痛感しました。もう少し早く着いていればもっとましな写真が撮れたのにと思うと残念でなりません。
 


 


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     1 津軽線蟹田駅ホーム、太宰治の歌碑        2 旧箱館奉行所跡            3 旧函館区公会堂の全景
     4 八幡坂から望む函館港                 5 函館ハリストス正教会         6 函館山から見る夜景
     7 早朝の湯の川から、立待岬と函館山           8 スーパー北斗3号の車窓から、全貌を現した駒ヶ岳(1131m)
     9 八雲付近の車窓から見る噴火湾(内浦湾)       10 白老付近の車窓から、樽前山(1041m)の全景
    11 スーパーおおぞら5号の車窓から眺める帯広市街    12 北海道らしくどこまでも広がる十勝平野
    13 十勝川と遙かに望む大雪山系               14 ワインの名産地に相応しい池田駅前のモニュメント
    15 高速道路沿いに見る紅葉と姿が見えた阿寒富士    16 夕暮れのオンネト-と雌阿寒岳(1499m)、阿寒富士
    17 夕闇迫るオンネト-と阿寒富士                18 雌阿寒岳と静寂に包まれた秘境の湖オンネト-
 


 

       ② 阿寒湖~知床

阿寒湖からの出発前、僅かな自由時間を楽しもうと6時前に起きてホテルの周辺を歩き回りました。朝の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込みながらの散策は、その後の長~い“カゴの鳥”への忍耐力を与えてくれました。

摩周湖での30分は、この旅の中では数少ない楽しい思い出の一つになりました。霧が立ちこめることが多くて全景を一望できる機会が少ないこの湖で、曇り空ながらこのように爆裂火口を抱くカムイヌプリもカムイッシュ島も、更に遙か彼方に知床の名山斜里岳まで目にすることができたのは、南から台風が近づいていたこの時点であるだけに本当に奇跡的としか言いようがありません。ツアーの集団から遠ざかってつかの間の一人旅気分に浸ったのはもちろんです。たまたま香港からの女子大生に出会ってしばらくおしゃべりしましたが、またヨーロッパに行きたくなってしまいました。摩周湖をあとに知床に向かう途中立ち寄った硫黄山は、低山ながら活発な火山活動がいまだに続いていて、中々見応えがありました。

知床半島に入った途端あちこちで鹿に出会うようになり、写真36のような文字通り“角を突き合わせる”場面にもお目にかかりました。
 


 


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     19 土産物店の店先に鎮座する巨大な熊の剥製           20 アイヌの古式舞踊、お盆の取り合い合戦
     21 岸辺の紅葉の合間から見る雌阿寒岳                22 阿寒湖の水面に映る雌阿寒岳
     23 阿寒横断道路から見下ろすペンケトー       24 木の間から見る摩周湖のシンボル、荒々しいカムイヌプリ(摩周岳)
     25 クマザサと摩周湖                            26 神秘の湖、世界で2番目の透明度を持つ摩周湖
     27 摩周湖展望台から望む釧路平野          28 摩周湖展望台から、カムイッシュ島と遙かな斜里岳(1547m) 
      29 バスの車窓から見る硫黄山、屈斜路湖、藻琴山        30 硫黄山の手前で見られる緑と紅葉のコントラスト
     31 噴煙を上げる硫黄山                         32 硫黄山の噴煙に最接近
      33 硫黄山の山麓からん望む知床の名山斜里岳          34 斜里付近から見る海別岳(1419m)  
      35 バスの車窓から垣間見るオシンコシンの滝             36 バスの車窓から偶然に見た、河原で闘う二頭の鹿
 


       ③ 知床~網走

台風の影響がオホーツク海まで及んできたらしく知床観光船が欠航になり、その代わりに知床五湖を目指すことになりました。知床連山の全景やカムイワッカの滝を海上から見られなくなったのは残念ですが、五湖からの眺めもそれに近い素敵なものでした。知床五湖では一湖と二湖だけを回りました。時間の制約もありましたがその先にクマが出没するとの情報があったためです。澄み切った湖面も素晴らしいですが、目前の知床連山の姿も魅力溢れるものでした。普段なじみのない北海道の山なので、正確な山名は帰宅後にカシミール3Dを使って確かめました。

知床斜里から北浜まではJRのディーゼル列車(と言ってもワンマンの1両編成)での移動です。この路線ではレールと道路の両方を走れるDMVの試験走行が初めて行われたのですが、若い駅員は知りませんでした。沿線には原生花園がいくつかありますがこの季節に咲く花はなく、濤沸湖や藻琴山が目にとまったくらいです。
 



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     37 バスの車窓から望む知床連山の盟主羅臼岳(1661m)      38 知床五湖の駐車場から、樹林越しの知床連山
     39 知床五湖、鏡のような水面を見せる一湖               40 知床五湖、二湖から望む羅臼岳~サシルイ岳
     41 二湖の水面に映る逆さ知床連山                    42 二湖の水面に映る知床の山々
     43 静寂そのものの二湖                             44 二湖から見る(知床)硫黄山(1562m)
     45 バスの車窓から見る岩尾別付近の断崖                46 知床観光の前線基地、ウトロ
     47 文字通り嵐の前の静けさを見せるオホーツク海            48 サケ、マスが遡上するオンネベツ川
     49 JR釧網本線知床斜里駅                        50 知床斜里駅に停車中のキハ40系ディーゼルカー
     51 波が荒くなり始めた台風の近づくオホーツク海            52 キハ40の車窓から見る濤沸湖と藻琴山
     53 オホーツク海を間近に見られる釧網本線北浜駅          54 天都山から、夕暮れ迫る網走湖と能取湖
 


       ④ 網走~美瑛

網走湖を見下ろす高台にある天都山の流氷館では、氷の海の妖精クリオネの実物を目にすることができました。しかし、網走のホテルでは、洗濯設備が宿泊客にとって非常に利用しにくい場所にあって、ずっと溜めてあった洗濯物の処理を予定していただけにたいへん苦労させられました。

折角旭川まで行きながら層雲峡に寄らないのは何とも残念ですが、かなり深まった場所なので無理なことは分かります。(結局は、2015年に稚内と組み合わせて訪れることになりました。


美瑛の丘の花畑は確かに見栄えのするものでしたが、寒風の中コートも着ないで写真を撮りまくったのは私だけで、ほとんどのメンバーは建物の中で震えていたようです。相変わらずの異常体質には我ながらコメントのしようがありません。 



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    55 オホーツク流氷館、氷点下18°の体験室           56 網走駅独特の縦書きの駅名標示板
    57 網走駅で発車を待つディーゼル特急オホーツク4号       58 当麻付近の上川盆地
    59 北海道中部の中心都市旭川の玄関、JR旭川駅        60 涼風が頬をなでる美瑛の丘
    61 美瑛の丘の名物、セブンスターの木                62 広がりを感じる美瑛の野
    63 美瑛の野に立つポプラ、パフィーの木               64~66 美瑛、四季彩の丘の風景
 


       ⑤ 札幌~函館


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     67 北の都札幌の表玄関、JR札幌駅        68 札幌駅前通り         69 早朝の空に立つさっぽろTV塔
     70 札幌大通り公園を彩る花壇                  71 JR札幌駅の電光掲示板
     72 JR札幌駅のSL型の掛け時計                 73 伊達紋別付近の車窓から、噴火湾越しの渡島半島
     74 有珠付近の車窓から、霞む駒ヶ岳               75 駒ヶ岳の双耳峰、砂原岳と剣ヶ峰
     76 北斗8号の車窓から、大沼公園寸景             77 函館駅発車直前の八戸行き特急スーパー白鳥26号
       78 渡島当別付近の車窓から、函館山と函館市街


旅の形にこだわる私は、戦後年を追って盛んになってきた旅行業者主催のツアー方式、中でもバスツアーがどうしても好きになれません。バスの中の移動も満足にできない狭い空間に押し込められ、ガイドの(研修で詰め込まれたであろう)息もつかせぬおしゃべりを休みなく聞かされるのは、静かに旅先の雰囲気を味わいたい私のような人間にとっては迷惑以外の何ものでもありません。

更に、旅行業者の「豪華なホテルに泊めて有り余る料理を詰め込ませ、温泉に入らせれば誰もが満足するであろう」というお決まりの方式が受けるのは、「面倒な手続きや荷物運びが不要で苦労せずに楽しめ、その上費用が安上がりで負担にならない」ことが、多くの日本人の好みに合っているからに違いないでしょう。しかし、私はこのような「楽して安上がりが最高」という考え方がどうしてもできないのです。同じお金を使うのなら、自分の興味や感覚に最大限に合うような旅を、自分でプラン作りから手がけるのが一番です。そうすることによって、一回の旅をプラン作り、実行、帰ってからの写真などを通じての回想という3段階で楽しむことができるのです。その結果費用が多少高くなっても、その成果はツアーの場合の何倍にもなってもたらされると思います。年金暮らしの私は決して豊かではありませんが、だからこそ一つ一つの旅を有意義なものにしたいのです。

今回は最初に書いた事情からやむを得ずツアーに参加することになりましたが、これを最後に二度とツアーには加わらない決意を新たにしました。
 


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   2 三陸の絶景と復活した鉄路を訪ねる旅 (16.10.12~10.15)

初日に予定していた龍泉洞ホテルが台風10号による災害でダメになり、急遽予定を変更して久慈に泊まることになりました。久慈へは、八戸回りでなく二戸駅からのJRバスが便利なため、それまでの時間をどう活用するかが問題になりました。 


  千葉~東京~盛岡~小岩井農場~盛岡~城跡公園~盛岡~二戸~久慈グランドホテル~北リアス線~島越~(北山崎断崖クルーズ)~島越~北リアス線~ホテル宮古ヒルズ~浄土ヶ浜~宮古~道の駅やまだ~釜石~南リアス線~盛~(BRT)~気仙沼~蔵ホテル一関
~厳美渓~一関~小牛田~仙台~東京~千葉 


       ① 盛岡~久慈

小岩井農場は13年前に訪れていますが、今回も前回と同様天候が思わしくなく岩手山を見ることはできませんでした。残りの時間は盛岡城跡公園と駅に向かう途中の石割桜で費やし、IGR(岩手銀河鉄道)とJRバスで久慈へと向かいました。 












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    1 東京駅20番線の東北新幹線はやぶさ3号          2 JR盛岡駅東口        3 小岩井農場まきば園入口
    4 小岩井農場まきば園、牧場ホール方面             5 小岩井農場まきば園、まきば館とモーモーライナー
    6 盛岡城跡公園、南部藩の藩侯を祀る桜山神社       7 盛岡城跡公園、盛岡藩の守り神烏帽子岩(兜岩)
    8 盛岡城跡公園、石川啄木の歌碑(不来方のお城の草に寝ころびて、空に吸われし十五の心)
    9 盛岡城跡公園の心安まる木立                10 樹齢360年、岩に割れ目を造った石割桜
   11 閑散としたJR二戸駅前広場             12 久慈へと向かうJRバス“スワロー号”から見る岩手内陸の夕暮れ
 


       ② 三陸鉄道北リアス線

三陸沿岸に住む人々にとって三陸鉄道がいかに大切なものかは、2分ごとに電車が来るのが当たり前と思っている首都圏の人々には到底分からないと思います。それだけに、大地震で徹底的に破壊された鉄路が復旧した様はどうしてもこの目で見たかったのです。

リアス地域特有の地形のため三陸鉄道の路線には多くのトンネルがあり、中にはかなりの長大トンネルもあります。車両はコンパクトながら清潔でコンクリート路盤の区間も多いため、乗り心地には問題ありませんでした。

断崖クルーズのため発着所のある島越(シマノコシ)で途中下車しました。
 



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     13 久慈グランドホテルから見下ろす早朝の三陸鉄道久慈駅構内            14 三陸鉄道北リアス線久慈駅
     15 三陸鉄道久慈駅の構内(売店で名物うに弁当が買える)     16 久慈駅発車前の宮古行きワンマン」列車
      17 北リアス線車両の車内風景                      18 陸中野田駅で、上下列車の交換
     19 堀内手前のトンネル       20 白井海岸付近の眺め        21 北山崎断崖クルーズの最寄り駅島越に到着
      22 津波で全壊し、ようやく再建されたばかりの島越駅の駅舎
     23 島越港への道から見上げる北リアス線宮古方面への鉄道橋
      24 島越駅に到着する北リアス線宮古行きのワンマン列車
 


       ③ 北山崎断崖クルーズ

三陸海岸の見所のトップに挙げられるのは「海のアルプス」と異名を持つ北山崎です。実はこの北山崎を海から見るか陸から見るかは天候次第で決めるつもりでした。陸側の展望台からは高度感が十分に把握できますが、両方は無理なので願ってもない晴天を生かして島越港~北山崎を往復する50分間のクルーズを存分に楽しむことにしたのです。ただ、いくら平日の早朝とはいえ乗客が僅か2人とはあまりにも寂しく、気の毒としか言いようがありませんでした。

この地域は「やませ」と呼ばれる北東の風とそれに伴う濃霧で視界が遮られることが多いそうで、水平線まで何も遮ることなく見通せる滅多にない好天には、心底感謝するばかりでした。

クルーズ船から見る岩壁の連なりは北山崎に近づくにつれて威圧感を増していきますが、長い年月を経る間の隆起や火山活動、繰り返された大津波などの痕跡が岩石の色や地層、形状などからもうかがわれ、自然の営みの規模の巨大さと多様さをひしひしと感じさせられます。
 



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      25 観光船の周りを飛び回るウミネコの編隊飛行     26 コイコロペ白亜紀地層(津波による堆積物、サンゴなどの化石)
     27 斜めの地層を突き抜ける岩塔         28 間近に見る弁天崎       29 断崖の上に建てられた弁天崎灯台
    30 アイヌの男女の悲恋伝説を秘める矢越崎              31 南側から見る矢越崎とローソク岩
    32 リアスの突端を象徴する岩のタワー                 33 大岩壁が示す迫力
    34 水平線まで晴れ渡る素晴らしい眺め(“やませ”で霧が立ちこめることの多い三陸の海では滅多にない幸運)
    35 不気味な洞穴がのぞく白い岩壁                   36 いよいよ北山崎の核心部に進入
    37 北山崎の最奥部、海抜200mにも及ぶ断崖の連続      38 クルーズを終えて島越港に帰着
    39 島越発車直後の車窓から見る島越港         40 北リアス線の車窓から、あの大堤防が崩落した田老付近
    41 宮古駅に飾られた“にゃんこ神社”(以前の木彫りの猫が大震災でも落ちなかったことから人気沸騰) 
    42 三陸鉄道北リアス線宮古駅の駅舎


       ④ 浄土ヶ浜

浄土ヶ浜が普通の浜辺と違うのは、砂浜ではなく小石でできていることでいわば「小石浜」です。周囲には奇妙な形状の岩が林立し、不思議な雰囲気を作りだしています。「浄土」という名でありながら実際には「地獄」の針の山にも通じる剣の山もあります。 



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      43 浄土ヶ浜の水辺に遊ぶウミネコの群              44 奇岩の並ぶ浄土ヶ浜の周辺
     45 屏風岩前に設置され、津波時の教訓が記されたチリ地震記念碑
     46 浄土ヶ浜から見るエボシ岩と浄土が島            47 浄土ヶ浜から見る鷹岩とエボシ岩
      48 浄土が島(親亀)と剣の山、子亀                49 浄土ヶ浜から見る浄土が島(親亀)
      50 浄土ヶ浜遊歩道から見る浄土が島と剣の山         51 浄土ヶ浜遊歩道から見る浄土が島の東端部分(子亀)
     52 浄土ヶ浜遊歩道に見られる5200万年前に形成された白い岩石            53 館が崎展望台
     54 生い茂った木々で見晴らしが乏しい館が崎展望台からの風景


       ⑤ 宮古~釜石、三陸鉄道南リアス線

宮古~釜石間のバスから大震災から5年以上も経つのに復旧工事すらあまり進んでいない事実を目にして、今更ながら、この状態を知りながらあのオリンピックという名のお祭り騒ぎに数兆円も費やすことを当然と考えている人々に対する怒りがわいてきました。「復興五輪」などはただの名目に過ぎません。JR山田線の悲惨な現状も、経済効率のみで物事を計る現代社会の冷酷さの表れです。

南リアス線の車窓からはふんだんに美しく穏やかな海の景色が見られ、これがあの大津波を起こして多くの人命を奪ったのと同じ海とはとても思えません。大きな被害を被った小石浜駅は立派に復旧され、新しい駅名の「恋し浜」にあやかりたい人々の願いをこめた絵馬が所狭しとぶら下がっている光景は、中々興味深いものでした。
 



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     55 バスの車窓から見る津軽石付近に放置されたJR山田線の車両          56 津軽石付近のJR山田線の踏切
     57 雑草に覆われた荒れ果てたJR山田線の線路         58 山並みの下のブルーシート
     59 宮古~釜石連絡バスの中継地、道の駅やまだ        60 岩手船越付近の復旧工事現場
     61 三陸鉄道南リアス線釜石駅         62 釜石駅の南リアス線列車          63 南リアス線列車の車内
     64 南リアス線の車窓から見る釜石港                 65 南リアス線の車窓から見る吉浜湾と弁天崎方面
      66 吉浜~三陸間の車窓から見る大穴山方面          67 恋し浜到着直前の車窓から見る美しい海
     68 恋し浜駅(旧小石浜駅)、ステンレス製の透かし彫りが施された幸せの鐘
     69 恋し浜駅、ホタテ絵馬の行列                   70 恋し浜駅、愛のメッセージが書かれたホタテ絵馬掛け
     71 盛駅前に設置された三陸鉄道起点のモニュメント       72 三陸鉄道南リアス線盛駅
 


             

       ⑥ BRT、厳美渓

BRTは本来は専用道路を走るはずですが、盛~気仙沼間の路線は一般道路に乗り入れる場合が多いためかなりの時間がかかりました。津波被害の大きかった陸前高田は特に復旧工事の遅れが目立ち、先の見えない日々を送る人々の心情が思いやられてなりませんでした。

「奇跡の一本松」は確かに被災した地域の人々の心の支えとして重要かも知れませんが、人間の生活が精神的なものだけで成り立つはずがないことを、東京で政治を操っている連中には真剣に考えて欲しいものです。

一関からそのまま帰るのはもったいないので訪れた厳美渓でしたが、予想とは違い町の中のような環境であることに驚かされました。郭公だんごのことは気付かずに行ったので珍しい経験になりました。
 



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      73 BRT大船渡線、盛駅       74 大船渡市内の護岸工事       75 大船渡魚市場付近で見る大船渡港
      76 細浦付近の車窓から見る大船渡湾             77 陸前高田の一隅で行われているかさ上げ工事
      78 工事車両だけが目立つ陸前高田              79 BRTの陸前高田駅
      80 陸前高田、見渡す限りの土の山               81 BRTの車窓から、遙かに見える「奇跡の一本松」
      82 気仙沼に到着したBRT                     83 JR大船渡線気仙沼駅
      84 気仙沼駅のキハ110系ディーゼルカー            85 厳美渓、群青色の淵
       86 名物郭公だんごの店「かっこう屋」     87 だんごの注文と代金の支払いに配達までを全てこなすケーブルとたらい
      88 ようやく色づき始めた木々          89 天工橋から見下ろす厳美渓     90 JR一ノ関駅


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   3 カシオペアで日本最北端と大雪山麓を訪ねる旅 (15.6.28~7.2)

北海道新幹線の開通を機に時刻表から姿を消す寝台特急カシオペアに乗ることができるようになり、最後の北海道旅行のつもりでまだ訪れていない層雲峡と稚内を主目的に出掛けました。 


  千葉~上野~(寝台特急カシオペア)~札幌~藻岩山~札幌~旭川~層雲峡朝陽亭~銀河の滝~流星の滝~大函~黒岳~旭川
~稚内~
ドーミーイン稚内~宗谷岬~稚内~ノシャップ岬~稚内~札幌~ホテルライフォート札幌~札幌~函館~新青森~東京~千葉 


       ① カシオペア~札幌

映像で何回か見たカシオペアですが、実際にそれに乗って旅をするのは感慨深いものです。ツインの個室はあまり広くはなかったものの内部構造にはかなり工夫がされていました。ただ、ラウンジカー(展望室)の構造や内部装飾はシンプル過ぎて、ヨーロッパ調のトワイライトエクスプレスの方が雰囲気的に数段優れているように感じました。ダイニングカーも食堂が二階であるためか狭く感じて意外でした。

長距離走行であるばかりでなく直流区間~交流区間~海底トンネル区間~非電化区間の違いに起因する機関車交換もあって、レールファンとしてはたいへん興味を惹かれました。
 












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     1 上野駅13番線の寝台特急(カシオペア、北斗星)待合所、「五つ星広場」
     2 入線した全車2階建ての寝台特急カシオペアの1号車(スイート)
     3 寝台特急カシオペア26系客車のドア付近          4 寝台特急カシオペアの行く先表示
     5 上野駅13番線ホームの列車案内板             6 寝台特急カシオペアの牽引機、交直両用EF510
     7 今回のカシオペア牽引機、EF510-509          8 三段重ねで十分な量の夕食、カシオペアスペシャル弁当
     9 2000年受賞の鉄道友の会ブルーリボン賞         10 ラウンジカーから見るトンネル通過後の木古内付近
    11 朝のラウンジカー室内                      12 5号車と9号車に設けられたミニロビー
    13 函館駅で、機関車交換のための連結解放作業       14 青森~函館間の牽引機、ED7913
    15 函館からの牽引機、DD51ディーゼル機関車重連     16 朝食時間のダイニングカー
    17 ダイニングカーの特等席、窓際のテーブル          18 朝食の洋定食
 


       ② 旭川~層雲峡

旅に出掛ける前の予報では晴れ続きだった北海道の天候が少しずつ悪化して、雨に見舞われる確率が高い中で動くことになってしまいました。ところが幸運にも、層雲峡の目玉の一つである2つの名瀑を回る間は全く雨も降らず、曇天ながら飽きるほど眺めることができたのです。

山が大好きな私にとってのもう一つの楽しみは黒岳からの大雪山系の展望でしたが、これははじめからほとんど諦めていました。ロープウェイで中腹に登った頃は既に小雨が降り始めていたので、高山植物園だけ見て下るつもりでいたのです。ところが、折角だからと高松台の展望台に登ってみた5分後に不思議にも雲が切れて、僅かの間ながら黒岳も姿を見せてくれたのです。

大雪ダムから下流の一部の区間では石狩川の流れが地中にトンネル化されていて、事実上石狩川は分断されているそうです。かつては信濃川に匹敵する364kmの長さを持っていた石狩川は、あまりにも蛇行が多く度々洪水を起こしたため何回もの工事で100km近くも短縮され、現在では長さが268kmになってしまいました。
 



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    19 新装成ったJR旭川駅                      20 銀河の滝付近を流れる石狩川
    21 樹間から垣間見る銀河の滝(女滝)              22 落差120m、優美な姿を見せる銀河の滝
    23 銀河の滝が流れ落ちる不動岩                 24 不動岩から優美に流れ落ちる銀河の滝
    25 1万年にわたる石狩川の浸食でできた24km続く断崖絶壁            26 流星の滝の案内板
    27 豪快に流れ落ちる落差お90mの流星の滝          28 流星の滝(男滝)
    29 柱状節理の岩壁と石狩川                   30 石狩川の浸食の跡を示す大函
    31 多目的ダムによる人造湖、大雪湖(ここからしばらくは石狩川が地中を流れる)
    32 黒岳五合目の高山植物、ヤマオダマキ           33 高松台から、黒岳(1984m)と桂月岳(1938m)
    34 高松台で、特徴的な岩と背後の山々             35 高松台で、再び湧き上がって峰々を隠す雲
    36 黒岳ロープウェイ(山麓~中腹)のゴンドラ
 


       ③ 稚内、その1

初めて稚内駅に降り立ったときは、やはりとうとう最北端に来たんだなという気持ちになりました。当然のことながら駅構内にもそれを認識させるような掲示や設備がいくつも見られました。

翌朝は予報で昼過ぎから雨と知り、朝食を後回しにして始発のバスで宗谷岬に向かいました。案の定人影はほとんどなく、ゆっくりと最果ての地の感触を味わうことができました。



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     37 稚内駅に到着した宗谷本線のディーゼル特急サロベツ    38 「遙けくも…」を感じる稚内駅の駅名標示板
     39 稚内駅、南北の始発・終着駅名の表示             40 稚内駅の「最北端の駅」の表示
     41 日本最北端のレール         42 日本最北端のレールの表示        43 JR稚内駅前広場
     44 宗谷岬へのバスの車窓から望む宗谷湾         45 サハリンが島であることを発見した探検家間宮林蔵の立像
     46 宗谷岬に咲くアルメリア        47 日本最北端の碑              48 日本最北端の碑の表示
     49 春の光景を歌った「宗谷岬」の音楽碑、最果ての旅情をかき立てる叙情歌として全国にヒットした
     50 宗谷岬の前面で、「我こそは最北端なり」と主張したそうな岩石群   
     51 柏屋の正面に設けられた「日本最北端」の標示板
     52 国境の備えとして宗谷海峡を監視するため、1902年に船のブリッジの形に似せて建てられた大岬旧海軍望楼
     53 宗谷海峡旧海軍戦没者慰霊碑                  54 1995年に日米共同で建設された平和の碑 
 


       ④ 稚内、その2

更に丘の上に幾つも設けられた平和を願う施設を訪れて、この地が冷戦時代には最も緊張を強いられていた場所であることも思い出し、改めて最北端ということの重みも感じさせられました。晴れていればサハリンも見えるのですが、あいにくの曇天でかすかに見えたような気がしただけです。

ホテルに戻って朝食を済ませたあと、もう一つの目的地であるノシャップ岬に行きました。こちらは宗谷岬とは違いバスも市内線で本数が多く便利です。残念ながら曇天で期待していた利尻山は眺められませんでした。
  



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     55 若い男女が牧場の柵の前で果てしなく広がる宗谷丘陵を見つめて力強く立つあけぼの像
     56 現在の宗谷海峡を発見したフランス人ラベルーズの功績を讃えて2007年に建立されたラベルーズ顕彰記念碑
     57 1983年の大韓航空機撃墜事件の犠牲者を悼んで建てられた祈りの塔
     58 戦争の悲惨さと核廃絶の尊さを訴え、思想、信条、政治的立場を超えて、81ヶ国の人々からのコインやメダル
        で1988年に鋳造された「世界平和の鐘」で、9月21日の「国際平和の日」に全世界に向けて鳴り響く
     59 旧海軍望楼から見る日本最北端の碑           60 ノシャップ岬付近の海岸
     61 ノシャップ岬の標柱                       62 ノシャップ岬恵山泊漁港公園に建つイルカのモニュメント
     63 恵山泊漁港と灯台                        64 稚内駅構内の「日本最北端、稚内駅」の表示
     65 稚内駅発車前の上り札幌行き特急サロベツ        66 ホテルの窓から見る朝の中島公園と札幌市街
 


                                                                            ページトップへ

   4 北東北の世界遺産と津軽半島を訪ねる旅 (11.8.24~8.27)

東北の大震災直後から続く世を挙げての自粛ムードに逆らって旅をすることには多少抵抗がありましたが、もはや年齢的にも体力的にもボランティアなどは無理な身であり、被災者の生活再建に貢献できるのは募金と被災地の産物購入を除けば旅先での僅かな消費くらいしかないとの思いもあり、激甚災害を受けた岩手や福島は難しいのでこのような旅になりました。

普通なら指定券の確保が難しい五能線の観光列車でさえ閑古鳥が啼く状態だったことに、大きな違和感を覚えました。「頑張ろう・・・」のような言葉や「花は咲く・・・」のような歌による励ましも大切ですが、実質的な貢献はもっと重要ではないでしょうか?被災地からの転居者が心ない仕打ちに遭ったり、被災地(特に福島)の生産品を科学的な根拠もなく忌避したり、この国が相変わらずの「ことだま」社会であることがとても残念です。
 

  千葉~東京~一ノ関~平泉(毛越寺、中尊寺 他)~盛岡~ホテルメトロポリタン秋田~(五能線)~十二湖~千畳敷~五所川原
~芦野公園~金木~五所川原~
ホテルルートイン弘前駅前~岩木山~弘前~青森(ハイパーホテルズパサージュ)~東京~千葉 

 


       ① 平泉

平泉は曇り空でした。世界遺産指定後の混雑の報道に一応覚悟はしていたのですが、8月下旬まで待った甲斐あってさほどのことはなく、落ち着いて歩き回ることができました。

この日は秋田泊まりなので、予定した4時間を効率的に使うため毛越寺から始めて右回りのルートを取ったのです。平泉は40年程前に一度訪れているのですが、当時とは見違えるほどどこも整備が行き届いていました。巡回バスも大いに役立ちました。
 












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     1 毛越寺本堂              2 毛越寺の正門だった南大門跡        3 水際に迫る岩山を模した築山
     4 毛越寺開山の祖、慈覚大師を祀る開山堂          5 浄土庭園の中心、大泉ヶ池
     6 大泉ヶ池に流れ込む、山からの水を取り入れる遣水     7 1732年に再建された常行堂
     8 海岸の砂州を表現する州浜                    9 平泉のシンボル、天台宗東北大本山の中尊寺
    10 弁慶堂付近の月見坂               11 自害する源義経と大往生の武蔵坊弁慶の木像を祀る弁慶堂
    12 月見坂望古台から、藤原泰衡が源義経と武蔵坊弁慶を自害に追い込んだ古戦場衣川柵跡
 



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     13 天台宗の高僧慈覚大師の創建になる中尊寺本堂           14 中尊寺の祈祷道場、不動堂
     15 竹林を背にする阿弥陀堂         16 藤原基衡の卒塔婆         17 芭蕉像と奥の細道の歌碑
     18 四季の庭と竹林が美しい大長寿庵                19 中尊寺の鎮守、イザナギとイザナミを祀る白山神社
     20 奥州藤原時代の種子から育てた中尊寺のハス植生地     21 義経の忠臣武蔵坊弁慶の墓
     22 高舘、義経堂近くに立つ芭蕉の句碑、「夏草や、兵どもが夢の跡」
     23 仙台藩が建立した義経の木像が安置された義経堂     24 藤原秀衡、源義経、武蔵坊弁慶の800年の供養塔
 


       ② 五能線、十二湖~千畳敷

当初の予定では、秋田を早朝に出て十二湖をゆっくり3時間かけて歩き回るはずでした。しかし天気変化が一日遅れてこの日も雨模様となったため、急遽十二湖歩きを1時間縮めるよう予定を変え、秋田を2時間遅く出る五能線の観光列車リゾートしらかみに乗ることにしたのです。

レールファンの私は、旅のプランではいつも列車にこだわります。今回は十二湖駅から五所川原までをリゾートしらかみ利用にしてあったのですが、予定を変えたおかげで2種類のリゾートしらかみに乗ることができました。車両は予想以上に豪華な造りで、特に前後の座席間隔の広さは驚くほどでした。

十二湖歩きは時折の霧雨程度でほとんど支障がなく、ルートを短くした分原生林歩きも短くなりましたが、いくつかの池を経由して最後に誰でも訪れる青池に着くまで、ブナ林の中の一人歩きを存分に楽しむことができました。何より怖いクマさんにも会わず、肌に群れて刺すと聞いていた虫も雨模様のせいで少なく助かりました。

車窓からの日本海の景色は場所によってかなり変わります。岩の色が様々なのは地質の関係でしょうが中々面白いものです。有り難かったのは、十二湖駅からのリゾートしらかみ3号が千畳敷駅で15分停車し、千畳敷海岸の散策時間を確保してくれたことです。こうしたきめ細かいサービスもローカル列車のいいところだと思います。
 



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     25 リゾートしらかみ1号(青池編成)のシンボルマーク       26 リゾートしらかみ1号の普通車指定席
     27 リゾートしらかみ1号の展望座席                   28 リゾートしらかみ1号のボックス席
     29 リゾートしらかみ1号の車窓から見る八郎潟干拓地       30 大間越付近の車窓から見る日本海の岩礁
     31 白神山地、十二湖の大池(西湖)         32 日暮の池との決別        33 大池(東湖)の静寂
     34 越口の池          35 沸壺の池へと通じるブナ林の小径            36 霧が立ちこめる沸壺の池
 



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     37 十二湖中最も名が知れている青池        38 深い青色を見せる青池        39 奥十二湖、鶏頭場の池
     40 十二湖駅に進入するリゾートしらかみ3号(ブナ編成)     41 リゾートしらかみ3号の普通車指定席
     42 リゾートしらかみの車窓から見る横磯付近の日本海      43 車窓から見る広戸付近の海岸
     44、45 広戸付近の日本海と奇岩怪石                46 太平洋とはひと味違う深い色合いの日本海
     47 千畳敷駅に到着したリゾートしらかみ3号              48 千畳敷海岸、大仏岩とそれに連なる奇岩群
     49 太宰治の小説「津軽」の一文が刻まれた文学碑        50 大町桂月の文学碑
     51 海側からは大仏に見える大仏岩           52 津軽の殿様が千枚の畳を敷いて宴会を催したといわれる千畳敷
     53 千畳敷海岸から遙かに望む北海道松前半島        54 千畳敷駅で15分の散策時間を設けたリゾートしらかみ
 

   
       ③ 金木、五所川原

五所川原でリゾートしらかみからストーブ列車で知られる津軽鉄道に乗り換え、金木の一つ先の芦野公園で降りてから太宰治記念館を目指しました。太宰治の生家は大邸宅で、彼が「金木の殿様」とまで呼ばれた名家の出身であることと、彼のどちらかというと暗い作風や何回もの自殺未遂、そして最後の入水自殺との間に横たわるギャップは、謎としか言いようがありません。

この日の宿泊地弘前に向かう前に、五所川原の立佞武多(タチネプタ)の館に立ち寄ってみましたが、高さ22mにもなる巨大な立佞武多の林立にはただ圧倒されるばかりでした。

同じ津軽半島でも場所によって呼び名が「ねぶた」と「ねぷた」に分かれています。不思議に思って尋ねてみると語源は同じとのことでした。展示されていた地図によると、一部例外はあるものの北部では「ねぶた」、南部では「ねぷた」が多いようです。
 



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     55 津軽五所川原駅ホームの津軽鉄道「走れメロス号」     56 無人の芦野公園駅
     57 芦野公園、津軽三味線発祥の地記念碑            58 芦野公園、津軽三味線を讃える記念碑
     59 芦野公園に立つ太宰治の銅像                  60 金木、津軽三味線会館
     61 太宰治幼時の遊び場で、小説「思い出」にも名が現れる雲祥寺
     62 元は大地主津島家の邸宅だった太宰治の生家(現在は太宰治記念館)
     63 太宰治記念館「斜陽館」の前面                  64 斜陽館、太宰治の誕生した部屋
     65 斜陽館、囲炉裏のある板敷きの部屋                66 金木駅で上下交換する津軽鉄道のワンマン列車
 



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     67 津軽鉄道「走れメロス号」の車内吊り広告          68 五所川原、立佞武多(タチネプタ)
     69~71 立佞武多の館、巨大な五所川原のタチネプタの展示          72 夕暮れ迫るJR五所川原駅
 


       ④ 岩木山、弘前

早朝のバスに乗って嶽温泉経由岩木山八合目に向かい、リフトで九合目に着いたのが9時過ぎでした。帰りのバスまでの2時間半を使っての岩木山登山です。ところが、かなりの急傾斜である上落石等による事故も少なくないと聞き、ちゃんと登山靴まで用意したにもかかわらず途中の二のおみ坂までで引き返すことになりました。さすがに82歳の身では無理が利かず、仕方ないことでした。

もう一つの誤算は食事でした。早朝の出発なので前夜に用意しておこうとしたのですがスーパーには何もなくコンビニは遠いので諦め、朝はごく簡単なもので済ませたのです。バス乗り継ぎの嶽温泉にも何もなく結局そのまま九合目まで登ってしまったのが運の尽き!僅かな携帯食料でしのぎ、下山した八合目の自動販売機で数十年振りにお目にかかるカップラーメンのお世話になるというお粗末な結果でした。万事用意周到を旨とする私にしてはあまりにも初歩的な失敗でした。でも、カップラーメンがあのように美味しいものだということを発見できたのは怪我の功名かも知れません。

弘前に戻って津軽藩ねぷた村を見ましたが五所川原のあとでは見劣りするばかり、その後は桜の季節には観光客が殺到するであろう弘前公園内を縦断し、夕方最後の目的地の青森へと向かいました。
 












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     1 岩木山九合目から見る白神山地方面            2 岩木山九合目から雲海を見下ろす
     3 九合目から見上げる津軽の名峰岩木山の三角錐の山頂        4 鳥の海噴火口
     5 鞍部を過ぎて登りに変わった急傾斜の登山路       6 高校生グループの遭難を機に建てられた鳳鳴ヒュッテ
     7 二のおみ坂から見下ろす鳳鳴ヒュッテと雲海        8 二のおみ坂から見る山腹の奇岩
     9 ベールをまとおうとする岩木山(1625m)           10 JR弘前駅
    11 津軽藩ねぷた村の展示、弘前ねぷた           12 これも弘前ねぷた        13 弘前城亀甲門(北門)
    14 弘前城の中壕に架かる橋から見る丑寅橋        15 弘前城、北の郭から本丸への入口、鷹丘橋
    16 弘前城の展望台から望む岩木山   17 桜の名所本丸に再建された弘前城天守閣
   18 弘前城南内門(南大門)


       ⑤ 青森

三内丸山遺跡は縄文人に関係する住居や生活様式などを紹介しています。数十年前には縄文人は弥生人に比べて劣っているというのが定説だったような記憶があります。今ではもちろん両者は古代日本の先住民と渡来人という区別が妥当なようですが、いずれにしても現代日本人の大部分が両者の混血による子孫であることは不思議ではないでしょう。この4年後に訪れた九州の吉野ヶ里遺跡では弥生人の生活ぶりを知ることができ、縄文人との違いも感じ取ることができました。

東北三大祭りの中でも最も人気のある青森ねぶたですが、新しい施設のワ・ラッセからは豪快さや素朴さよりも何となくよそゆきの印象を受けました。実際に祭りを見ればまた違って見えるのでしょうが、人混みが極度に苦手の私には無理な話です。
 



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     19 かつての青函連絡船、八甲田丸               20 縄文の丘、三内まほろばパーク前のロータリー
     21 縄文時遊館の展示、縄文人の衣服(復元)       22 縄文人の生活の様子        23 復元された土器
     24 イヤリングとヘアピン            25 鹿角製のハンマー           26 石製のスプーン
     27 食器に用いられた土器                    28 大型竪穴住居と掘立柱建物
     29 復元された縄文中期の大型堀立柱建物の柱      30 堀立柱建物の柱の組み立て
 



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     31 堀立柱建物の基礎部分           32 竪穴住居の入口          33 竪穴住居の内部構造
     34 高床式の堀立柱建物群           35 茅葺き住居の入口         36 茅葺き住居の内部構造
     37 円錐形の土葺き住居                     38 青森ねぶたの紹介施設、ワ・ラッセ
     39~42 ワ・ラッセの展示、青森ねぶたの山車


                                                                           ページトップへ

   5 トワイライトエクスプレスで日本海沿いに北海道を訪れる旅 (10.4.12~4.16)

カシオペアと同様乗車券の確保が極めて難しい寝台特急トワイライトエクスプレスに乗り、日本海岸を北上して北海道を訪れるのを目的に出掛けました。そのために、わざわざ東海道新幹線で京都まで向かうというレールマニア以外には理解不能な行動までしたのです。 


  千葉~東京~京都~(寝台特急トワイライトエクスプレス)…荒天で7時間半の遅れ~五稜郭~札幌~小樽(小樽運河 他)
JRタワーホテル日航札幌 ~北海道大学~道庁旧本庁舎~札幌市時計台~大通り公園~札幌~函館~湯の川温泉平成館海羊亭
~トラピスチヌ修道院~函館(五稜郭、明治館、 赤レンガ倉庫群、海鮮市場、函館朝市)~青森~ドーミーイン秋田~千秋公園
~ねぶり流し館~赤レンガ郷土館~秋田~新潟~東京~千葉
 


       ① 京都~小樽~札幌

と言うわけで、京都駅で喜び勇んで乗り込んだのですが、その数時間後には思いもよらない災難が待ち構えていたのです。出発前から怪しかった天候が更に悪化し、長岡を過ぎる頃からは台風並みの荒れ模様になってしまいました。そのため、烈風を真横から受ける可能性が高い阿賀野川鉄橋の手前での長時間停車に始まり、その後も秋田までノロノロ運転と長時間停車の繰り返しという状況に追い込まれて、結局函館の手前の五稜郭に到着したときは7時間半の遅れということになってしまったのです。

それでも、念願のトワイライトエクスプレスに乗ることができ、どんなに遅れようと寝台やサロンカーでゆっくり時間を過ごせるので、普通の座席車とは比較にならない楽な旅でした。鉄橋上で列車が横倒しにされ兼ねないほどの異常な天候だった訳で、安全第一の運行は当然だったと思います。

このような事情で予定は大幅に狂いましたが、元々この時期の北海道は観光には不向きなので初めから欲張ったプランではなく、特に失望することはありませんでした。
 












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     1 京都駅で、寝台特急トワイライトエクスプレスの牽引機、EF81104とヘッドマーク
     2 トワイライトエクスプレスの行き先案内                  3 トワイライトエクスプレスの展望室サロン・デュノール
     4 ゆったりと時を過ごせるサロン・デュノールの室内           5 トワイライトエクスプレスの食堂車ダイナー・プレアディス
     6 明けゆく女鹿付近の海岸線                      7 弘前付近の車窓から見る津軽の名山岩木山
     8 木古内付近の車窓から、波荒い津軽海峡              9 ハプニング続きだった寝台特急トワイライトエクスプレス
    10 120年にわたり時を刻み続けた札幌市時計台の大時計        11 北海道庁旧本庁舎の南側正面
    12 JRタワーホテルから、早朝の藻岩山方面             13 時折小雪の舞う朝の小樽駅前
    14 1930年に建てられた旧安田銀行小樽支店            15 1920年代からの小樽運河と石造倉庫群
    16 小樽運河沿いに設けられた石畳のふれあいの散歩道
     17 札幌への函館本線の車窓から、石狩湾と高島岬       18 JR札幌駅の改札前の電光掲示板
 


 

       ② 函館~秋田~新潟

函館は2005年に市内くまなく歩き回っているので、今回は郊外のトラピスチヌ修道院などを訪れてから秋田に回り、いくつかの施設を訪れてから一泊し、翌日は新潟回りで東京経由帰宅しました。 



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     19 小雪の舞うトラピスチヌ修道院の入口                20 悪魔に打ち勝った大天使聖ミカエルのブロンズ像
     21 トラピスチヌ修道院、慈しみの聖母マリア像             22 小雪がちらつくトラピスチヌ修道院
     23 マリア像の前からトラピスチヌ修道院の聖堂と本館        24 トラピスチヌ修道院の前庭に立つ聖テレジア像
     25 五稜郭タワーから見下ろす五稜郭公園の西側部分      26 五稜郭タワーから望む函館山と立待岬
     27 はこだて明治館の全景                       28 旧佐竹氏の居城久保田城を取り巻くお堀
     29 千秋公園に立つ秋田藩12代藩主佐竹義堯の像               30 復元された御隅櫓
     31 竿灯祭りの主役となる竿灯                    32 竿灯祭り用の大提灯
     33 明治末期の建造物赤レンガ郷土館
     34 羽越線女鹿付近の車窓から、穀倉地帯と雪を戴く鳥海山(2236m)
     35 酒田駅に停車中の羽越線特急いなほ10号          36 越後寒川付近の車窓から、日本海に浮かぶ粟島
 


それにしても、人々の振る舞いが住んでいる地域によって違う事実を目の当たりにするのは興味深いことです。

札幌では人々が概して落ち着きと上品さを兼ね備えている上、旅行者に対しても礼儀正しく接してくれました。秋田駅でものを尋ねた高校生も、少し崩れた服装ながら年長者への応対はちゃんと心得ていたのです。ところが新潟に来ると、よく首都圏で見られるように、大勢が行き交う公共の場で歓声を挙げてじゃれ合う女子高生の群れがいくつも見られました。そして東京では、例の通りほとんどの人がセカセカと歩き回り、隣人への気配りなどみじんも感じられない傍若無人と無表情の世界が戻ってきたのです。

クラーク博士以来の進取の気性に富むおおらかな土地柄の北海道、素朴な秋田、新幹線で東京と直結された新潟、何もかも目まぐるしく回転する東京、そうした土地柄が人間性にどう影響するのか、僅かな体験の中でも感じられたような気がします。
 


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   6 津軽海峡を初めて渡る旅 (05.10.23~10.26)

体力のあるうちに海外旅行を」と国内の旅を後回しにしてきた私にとって、これが初めての北海道上陸の旅になりました。青森に住む中学時代の親友に会うついでに、八甲田山と函館をプランに加えようと思い立ったのです。 

  千葉~東京~八戸~青森~青森グランドホテル~八甲田山麓~山頂公園~田茂萢湿原~赤倉岳分岐~田茂萢湿原~山頂公園
~八甲田山麓~青森~函館~函館山夜景~
函館ホテル第二オーシャン~五稜郭~谷地頭~立待岬~十字街~函館山
~ハリストス正教会~カトリック元町教会~旧函館区公会堂~旧イギリス領事館~北方民族資料館~赤レンガ倉庫群~摩周丸
函館ホテル第二オーシャン~函館~大沼公園~函館~八戸~東京~千葉 

   


       ① 八甲田山、青森

函館に渡る前に八甲田山を訪れました。しかし、台風並みの強風が吹きすさび、せめて登ろうと向かった赤倉岳への登山路が前夜の雨でひどいぬかるみになっていたため諦めて下山し、かつて青函連絡船の花形だった八甲田丸の見学を済ませてから函館に向かいました。 












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      1 八甲田山麓、萱野高原の朝      2 かやの茶屋                  3 色鮮やかなナナカマド
      4 田茂萢湿原の木道            5 ガスに包まれた田茂萢岳         6 ガスに煙る田茂萢湿原
      7 晴れ間が見えてきた田茂萢       8 険悪な雲に隠れる八甲田大岳      9 深くえぐれた赤倉岳への道
     10 上毛無岱を望む             11 日が差した下毛無岱          12 長い裾野の八甲田大岳(1585m)
     13 赤倉岳、井戸岳、大岳         14 八甲田山麓の紅葉          15 青森駅に到着した特急つがる
     16 青森ベイブリッジ               17 旧青函連絡船八甲田丸        18 旧連絡桟橋への線路
 


          

      ② 函館、大沼と駒ヶ岳

夕方函館に着き、ホテルのチェックインを済ませたあとすぐに函館山に登りました。幸運にも快晴で素晴らしい夜景を楽しむことができました。

翌日はかねてのプラン通り徒歩で十分回れる中心部は後回しにし、先ず北の五稜郭、次に南の立待岬の順で回りました。便利な市電のほかはもちろん常時携帯の健脚が大いに役立ちました。、その後は中心部に戻って昼の函館山に登り、最後に歴史的建造物の多い元町からベイエリアを経てホテルまで、全て徒歩で済む簡単な町歩きでした。神戸に似たエキゾティックな雰囲気の町だけに、町歩きの苦手な私も結構楽しむことができ、旧領事館内のカフェでアフタヌーンティーを味わい、最終目的地の摩周丸には薄暗くなる頃到着ということになりました。

翌日は一転自然の中に飛び込むべく駒ヶ岳を眺めに大沼まで出掛けました。僅かな本数の列車だけが頼りなので何かあれば函館からの帰りの列車に間に合わないことも考えられましたが、思い切って決行したのです。幸い、八甲田山では既に終わっていた紅葉もここでは存分に鑑賞することができ、駒ヶ岳の特異な姿も堪能できました。



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     19 函館駅に到着した特急白鳥      20 函館山からの夜景               21 朝の函館駅
     22 便利な函館市電             23 五稜郭タワーから見る函館          24 函館市電の乗客たち
     25 石川啄木一族の墓            26 立待岬付近からの函館市街        27 立待岬から望む津軽海峡
      28 高田屋嘉兵衛の碑            29 昼の函館山からの見晴らし          30 正面からの函館ハリストス教会
     31 旧函館区公会堂                    32 旧イギリス領事館から外を見る領事の像
     33 ペリー提督来航記念碑                 34 アイヌの防寒衣料 
      35 アイヌの生活用具                    36 新島襄の海外渡航記念碑
 


       


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     37 北海道第一歩mの地記念碑        38 金森赤レンガ倉庫         39 旧青函連絡船摩周丸
     40 函館駅の特急スーパー北斗         41 快晴の駒ヶ岳           42 大沼湖に浮かぶ紅葉の島
     43 見事な紅葉を見せる大沼湖畔の林           44 天に突き上げる駒ヶ岳の山頂
     45 大沼公園駅前のクマの像                  46 大沼公園駅
     47 スーパー白鳥24号から見る津軽海峡           48 青函トンネル吉岡海底駅
 


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